home>信仰の挑戦 … 女子パウロ会 各国創設記>ベネズエラ

信仰の挑戦 … 女子パウロ会 各国創設記

INDEX



第20回 ベネズエラの創設
        涙があふれて……


1956年5月1日、2人のパウロの娘がコロンビアのボゴタから、ベネズエラの首都カラカスに到着しました。

太陽のまぶしい、すばらしい日でしたが、何よりもすばらしかったのはマリアにささげられた月の最初の日だったからです。マリアに創設を委ね、マリアを最初の院長、心、中心、すべての召命の母とみなして、わたしたちの使徒職のため、この地から召命が出ることを願いました。

未知の国で、何もないところから始めることはやさしいことではありません。最初のころはサレジアンシスターのイタリア人のシスターたちのお世話になりました。彼女たちはわたしたちをよく迎え入れてくださり、彼女たちのところに一部屋を借りることができました。その後、部屋を使う必要があるまで、3か月間、そこに留まりました。この期間は絶えず仕事に励み、さまざまな人々と知り合って関わりをもつことができました。また、シスターたちのお陰で適当な家を見つけることができました。

家を見つけると、ローマから院長の任務を負った姉妹が到着するまでの間、力強い支えとして4人のコロンビア人の志願者も派遣されてきました。

1956年11月4日、イタリアから2人のシスターが到着しました。

カラカスは大都市で美しく、近代的なマイケティア空港は、南米でもっとも美しい空港の一つです。最初の印象はそうでしたが、2人の姉妹はうれしそうではありませんでした。それは色の黒い顔の人々を見て、また彼らの感傷的で音程の低い音楽を聞き、南国の暑さのため湯気が立つように汗が吹き出たりしたことが、最初の好印象につながらなかったからでした。

けれども、彼女たちを待ち受けていたコロンビアの姉妹たちの喜びは表現できないほど大きいものでした。彼女たちを歓迎し、暑さを少しでも和らげ、現地の習慣、言葉などが重荷に感じられないようにと細やかな心遣いを示してくれました。言葉について言えば、早速カスティリアーノを練習し、すぐに家庭宣教にも行きはじめ、必要不可欠な言葉は暗記しました。何とかして会話が通じるように話し、間違いは他の人が直してくれて、笑いながら、またユーモアをもって使徒職をしていました。

母国から遠く離れた最初の数か月は、どんなにか故国を思い、心を痛めたことでしょう。たとえ犠牲は喜んでささげたとしても、自然の傾きは隠せませんでした。シスターテクラ・メルロから最初の手紙が届いたときには、涙があふれてきました。



▲ページのトップへ