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「時」の歩み

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談話室の片隅で

「あけぼの」2004年9月号より) 新谷のり子


大阪市西成区「釜ヶ崎」は日本最大の寄せ場、日雇い労働者の街です。簡易宿泊所やシェルターを転々としているホームレス状態の人、それさえかなわなく公園や路上で野宿生活を余儀なくされている人々が、約0.7平方キロメートルの広さの地域に2万人ほど暮らしています。社会が不況になると真っ先に切り捨てられてしまう労働者、高齢者にとっては就労の機会が皆無に等しく、野宿生活からくる身体の衰弱が追い打ちをかけるように人々を苦しめます。

社会構造の矛盾をはねかえすすべを持たない人々の側に立ち、偏見と差別を少しでも取り除き、「釜ヶ崎で生きる人」の自立を援助している施設やグループがあります。私が5年ほど前から、月のうち2、3日間「温熱療法」のボランティアをさせていただいている聖フランシスコ会「ふるさとの家」もそのひとつです。

仕事もなく行き場を失った人々が、わずかな安息を求めて利用するこの施設は、1階には60歳以上の人のための「談話室」、生活の「相談室」、2階には「ともの広場」があり、利用者がつかの間の安息を得ています。

この4月より、新任の施設長となったMは、この町で生まれ育ってきました。ここで生きた数多くの人生を、その全身で生き止めているように思えます。私にとって、「釜ヶ崎」が生きるうえでなくてはならない場所となっているのも、彼女の存在を抜きには考えられません。親子ほども年齢の違う若いMから、もう何年間もたくさんの気づきをいただいているのです。

「ふるさとの家」の支援者に送る「ふるさとだより」の中で、Mはこう記しています。

「最近、週末はふるさとの家に、支援団体からパンや野菜の差し入れがあります。パンは配り、野菜は『自炊室(自分でラーメンを買ってきて炊く)』に切って置くようにしています。物を出す(渡す)ことは、大変難しい仕事です。利用者はみんなにあたるように、などの気遣いもありますが、それよりも、本来ならだれもが『貰(もら)う』のではなく『自分で買う』ことができるように、仕事が欲しいと願ってます。そのことに、共に寄り添いたいと思います。」

厳しい寒さ、耐え難く寝苦しい暑さ、雨の日……、利用者でごったがえす「談話室」の片隅を占拠することに、心苦しさを感じながらも、出会いのときをいただいています。「来月待ってるよ」、30分程の施療を終えてこのこの言葉を耳にするとき、いつも私の全身に活気がみなぎり、「ありがとう」の言葉を返します。

当初は、「熱いらしい」「裸になるのはどうも」と敬遠していた人も、少しずつ「待ってるよ」グループに入ってくれ始めました。その中の一人にDサンがおりました。

ほとんどの利用者が何らかの苦痛を訴える中で、Dサンは様子が違いました。4年間ほとんど毎月顔を出してくれましたが、その身体にはハリがあり、気力に溢れ、「温熱の必要はないね」と話していたものです。でもこの1年間、ハリがみるみるうちに失われ、明らかにやせていきました。失職している様子が手に取るように観じられました。生活場所も、簡易宿泊所からシェルター、更には野宿だったと主われます。仕事に恵まれていた時期、「これとっておいて」と毎回500円玉を私の手のヒラに置いて帰りました。それを「神様預金」と呼んで、Dサンの代わりに貯めていたのですが、ある時期からその500円玉は、私からDサンの手のヒラに返されるようになっていきました。それでも、「これ」と言って差し出してくれるコーヒーや、お茶。[Dサンが食べなきゃ」と言いながら、精一杯私を気遣ってくれるシャイで無口なDサンの優しさと受け止め、ありがたく思っておりました。

3月31日、一か月ぶりの談話室。そのカウンターに、少し恥ずかしそうないつもの笑顔のDサンの写真が置かれてあり、私は訝(いぶか)しく眺めました。「3月27日死去。61歳」。なんのことか全く理解できない私は、その前に立ちすくんでおりました。3月26日、61歳の誕生日迎えた朝、シェルターで倒れ、仲間の手によって病院に運ばれ、頭部の手術を受けたそうです。その日、血圧が異常に高かったのだとも。前月、私は何も気づきませんでした。何かを見落としていた自分を悔いました。

しかし、Dサンとの交流をゆっくり振り返りながら、これで良かったのだと納得することにしました。いつも、施療台に横たわり、静かに目を閉じ、まるで幼子のように無防備でいてくれたこと。そんな「時」を共有できたこと。自らの「しんどさ」を語らず、いつも「人のため」を思って行動することを、さりげなく教えてくれたこと。「中途半端なところから世の中を見ても、邪魔するものがいっぱいあって、見通しを誤るけれど、一番下から世の中を見ると、ホンマによう見える」と聞かされ、中途半端に生きてる私を見透かされたようで、恐ろしかったこと等も思い出します。

釜ヶ崎に来るたびに、マザー・テレサの言葉を黙想します。

「神はわたしが十字架の貧しさを背負った孤独な修道女であることをお望みです。今日は大切な経験をしました。貧しい人の貧しさとは、大変つらいものだということを学びました。」(マザー・テレサ『愛と祈り』より)

それまでは、修道女として、教育者として人々に尊敬と称賛を、その身に浴びていたであろうマザー・テレサが全てを捨ててイエスに従い、スラムで活動を始めたころ、昼食時に水と静寂を求めて訪ねた修道院で、中に入れてもらえず、階段の下で物乞いと同じように貧しい食事をとったときの体験をこう語っています。人間の尊厳を剥奪(はくだつ)されて生きる人々と同化した瞬間だったのだろうと推察します。国家や民族、宗教の相違から起こっている争いにも「貧しい人の貧しさのつらさ」を見てとることができます。

優越意識からおこる虐げや蔑(さげす)みによる尊厳の喪失。命そのものが脅かされる恐怖。そして、そこに生まれてくるのは不安、疑心暗鬼、憎悪、怒り、哀しみが充満する社会。

洪水のように押し寄せるニュースに感性がマヒし、喜怒哀楽が失われ、すべてに無関心になってしまうのではと、焦りに似た気持ちにさいなまれるとき、私を戒めるように生き抜いている人々を目のあたりにし、談話室の片隅で希望をたぐり寄せています。


著者紹介:
新谷のり子(しんたに のりこ)
「フランシーヌの場合」でデビュー。「人権学習」の講師ほか独自のコンサートで活躍中。著書『フランシーヌはたち』、アルバム「祈り」「うたたち」ほか。

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