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友との語らい

「あけぼの」2004年11月号より) 新谷のり子


「ありがとう」の言葉を残して

酷暑、ホントに暑い夏でした。

私の所属するカトリック片瀬教会の周辺は連日、観光や海水浴に訪れる家族連れや若者たちで賑わい、百花繚乱の趣でした。

アテネ五輪に参加したアスリートたちが、届けてくれる笑顔や涙に素直に感動していた夏でもありました。しかし、メダルラッシュにわき、連日日本中がオリンピックで埋めつくされていた間にも、国内外を問わず戦火や災害が、人々の暮らしを飲みこみ、いくつもの「命」が奪われておりました。そして、秋の気配がただよい喧噪は去り落ち着きをとり戻した湘南の海ですが、イラクの戦地にいる自衛隊員の日常も、戦の終焉を告げるニュースも届いてはきません。

夏の終わりに、私は「所沢市平和講演会」に招かれました。広島、長崎を2度と地球上に再現させないために、被爆体験を語りつごう……。若い命を暴力で散らさないためにも、あらゆる戦争の原因となることに目を向け、それをとりのぞく努力を共に……。しかし、あまりにも理不尽と思われる多くの「死」が、連日のように世界中を覆い、「命」の尊さを語ろうにも、手のほどこしようもない無力感にくじけてしまいそうになります。現実に自国民が戦場にその身を置いている今年の夏は、平和を唄い語るのはあまりにもきれいごとのようで心苦しく、ある種の苛立ちを感じておりました。そんな私を叱咤激励するかのように、十数年ぶりの再会になる友が、その日楽屋を訪ねてくれたのです。

所沢市在住の柳沢紗千子さん。紗千子さんとは、ルーテル神学大学カウンセリング研究所の主催する講座で共に学び、いつも信仰の喜びに満たされている彼女の明るい優しいふるまいに、私はとても惹かれておりました。講座が終了し、それぞれが自分の暮らしに戻って、音信不通になっても、紗千子さんだけはときどき近況を送ってくれていました。

2001年の夏、紗千子さんが寄稿された聖公会立川教会の教会報「まじわり」が送られてきたのです。「有希ちゃんが急逝しました」というタイトルでした。ご子息の望さんのお連れ合い有希さんの死。それも「おかあさん」と紗千子さんを呼ぶ声を聞き、駆けつけてから救急車の到着までの10分間ほど、紗千子さんの腕に抱かれて、「ありがとう、ありがとう」の言葉を残しての死。紗千子さんは、この出来事をこう書いておられました。「[この10分間に起こった最初から最後までは、神様のなさったことと考えるより他、説明できません。かけがえのない尊い愛に満ちあふれた神様のご計画だったと思うと、感謝でいっぱいです」と。残された者の喪失感で辛いはずなのに、その文面の行間からは、透明な光が放たれておりました。

言葉を交わすチャンスのないままに、流れていった年月を取り戻すかのように、私は紗千子さんに逢って、信仰のこと、希さんのこと、そして「死」については話をしてほしいと彼女にせがみました。

長野県上田市にある幼稚園で、キリスト教教育を受け、高校2年のとき、初めて聖公会の礼拝堂を訪れたことを話してくれました。


命を大切に、大切に……

「足を踏み入れたとたん、ものすごい懐かしさを感じたの。ともかく懐かしくて、これは一体何なのだろう。聖歌を聞いても、お祈りを聞いても、自分の中に入ってくる『よく帰ってきたね』という言葉を感じたの」

このときの喜びが今も消えていない、それが紗千子さんの全てなのだと、理解できました。

有希さんは、望さんと結婚した2年後、1999年に舌ガンを発症、2000年にはリンパへと転移し手術しました。その手術後、有希さんは母になりたい、どうしても子どもを授かりたいと切望したのだそうです。看護婦として働く女性でもあった有希さんは、妊娠が自らの命に与えるであろう影響をすべて承知のうえ、体内に宿った新たな命を育んだのです。

2001年春、緊急帝王切開で、光輝くんがこの世に誕生しました。病室で光輝くんを抱く幸せそうな有希さんのために、「神様、有希ちゃんはあんなにお母さんになりたかったんだよ。お母さんにしてくれて、ありがとう」と、紗千子さんは感謝したそうです。死の瞬間まで、死を考えることなく、生まれた命に精一杯の愛を注ぎ生き抜いたた有希さんは紗千子さんの腕に抱かれ、たくさんの「ありがとう」の言葉を残して旅立って行きました。光輝くんの誕生から2か月余りのことでした。

紗千子さんと2人で「死」について語り合いました。紗千子さんは有希さんの死後、自らの死について考えが変わったと言います。

「死は恐くない。子どもを育て上げ、物理的に私の手から離れたから、いつでも自分の死を受け入れられると思っていた。でも、有希ちゃんが光輝を残してくれた。自分の命は光輝のために、大切に、大切に使いたい。そう考えたら有希ちゃんが夢に現れて、とても嬉しそうにしていて、私も幸せな気持ちになった。時も場所も越えて、共に生きていてくれていると。それからは、今日のことは今日考えよう。今日が過ぎたら明日が来る」

家庭の崩壊、子どもを取り巻く環境の悪化、子育てを放棄する親たちが増加している現代の中で、紗千子さんのこの姿にうたれました。

どれほどの疲労や不安、苦悩があるだろうかと想像し、それでも笑顔の絶えない紗千子さんに、いつまでも友でいて欲しいと思いました。

「どのように死ぬかは予想できないので、死に方について思い煩うのは無益です。私たちのすべきことは、死に備えることです。死に備えることは、死よりも愛によって愛してくださる神の子とされていることを、十分自覚しながら生きることです。死ぬことの痛みは、産みの苦しみです。そのことを経て、私たちはこの世の子宮を出て、まったき神の子として、新たに生まれるのです。(ヘンリ・ナーウエン著『いま、ここに生きる』より)」

私がことある毎にページをめくる、この本をプレゼントする約束をして、帰路につきました。


著者紹介:
新谷のり子(しんたに のりこ)
「フランシーヌの場合」でデビュー。「人権学習」の講師ほか独自のコンサートで活躍中。著書『フランシーヌはたち』、アルバム「祈り」「うたたち」ほか。

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