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“文民統制”の危機

「あけぼの」2005年3月号より) 酒井 新二


ヤセル・アラファト氏の逝去

2005年を迎えた日本政治の注目点は“自衛隊”の公然化と、その中における“制服組”の発言力の増大である。防衛庁・自衛隊はイラクへの自衛隊派遣を契機として、急速にその存在感と発言力を増大させている。昨年12月、陸上自衛隊制服組の某幹部が自民党の中谷元・憲法改正案起草委員会(元防衛庁長官)の依頼によって「改革案」を提出するという事態が明らかになった。

このような中谷氏の行動は不見識極まるが、同時にこれに応じた自衛隊幹部の憲法違反行為に、現在の自衛隊幹部の憲法感覚摩滅と今の政治に対する不満、そのような政治への介入の潜在的意欲がほの見えるのである。

自民党国防族と自衛隊幹部主導によるイラクへの自衛隊派遣は、「イラクの復興支援」に名を借りた自衛隊海外派遣の大きな一歩であり、同時に“改憲”に向かって政治的意欲を秘めたものであるといえる。自衛隊に対する“文民統制”(シビリアン・コントロール)に対して、制服組が防衛庁長官以外(官房長、防衛局長ら10人の防衛参事官)の指示・監督に反発し、石破前長官が「制度の見直し」を指示したということ自体“文民統制”の崩壊現象の現れである。


「防衛計画」の質的変化

政府は昨年12月10日の閣議で9年ぶりに新たな「防衛計画大網」を決定した。これは従来の「防衛計画」を本質的に変更しようとするものであり、特に「9.11事件」を契機とするアメリカの軍事戦略の劇的変化に合わせ、同時に日本の“憲法改正”を見直した“新軍事政策”の性格を持つものである。

それにもかかわらず国民の多くは、この政府の軍事政策の本質的変化について極めて鈍感である。政府は現憲法が掲げる平和理念を現実の外交政策、特に東北・東南アジア政策に反映させる感覚をほとんど見失っている。「北朝鮮」の冒険主義的軍事戦略にとらわれて、アジアの長期的平和戦略の確立を怠り、ひたすらアメリカのアジア戦略に追従している。最近、東南アジア諸国連合(ASEAN)を中心として急速に台頭した「アジア共同体」構想に対しても、中国が直ちに反応したにもかかわらず、アメリカに気兼ねしてその対応が遅れたのは、日本外交がしっかりした主体的な長期アジア外交戦略の樹立を怠っていることを示すものである。


“アジア共同体”構想

軍事的には弱小の国々で構成される東南アジアは、激動する国際情勢、特に超軍事大国アメリカと「国際テロ」との不毛の対立によって自らの平和と安全と繁栄が攪乱(かくらん)されることを恐れ、自らの平和戦略を打ち出し、日本、中国、韓国などの協力を得て、アジアを“平和地域”とすることを願っている。「東南アジア連合」は今やかつての弱小国の集合ではなく、急速に経済力をつけつつある国家群の集合である。「アジア共同体」構想はアメリカ中心の軍事的二国間協力の集合体構想とは本質的に異なるものである。日本は本来自らこの構想を掲げて「平和憲法」国家に相応しい国際戦略を打ち出すべきものであった。

現在の「欧州共同体」の“アジア版”ともいうべきこの構想を、最近まで「アジアでは成立するはずがない」などと公言していた多くの保守的日本人(カトリックの中にも多い)の思考とは異なり、アジアの現実の情勢ははるかに進んでいる。ひたすらアメリカのアジア政策と日米軍事協力を最善の策と考えている日本の保守勢力のこの50年間の軌跡は、今本質的転換を迫られている。

それにもかかわらず、前記の「新防衛大網」は旧態依然たる日米軍事同盟的枠組によって対中国・東南アジアに対立しようとする軍事構想に立っている。そこにはアジアの“平和戦略”の姿が見えない。日本の外交当局は相も変わらずアメリカの軍事戦略の後塵(こうじん)を拝するのみで、自らの先導的外交戦略を打ち出し得ないでいる。この2年間、日本の外交当局はひたすら北朝鮮の日本人拉致問題に右往左往するのみで「6か国協議」においてもなんら主体的発言力を発揮できず、日本の外交力の貧困をさらけ出すばかりである。


ゆれ動く“平和理念”

自民党政権はこの50年間、憲法の掲げる“平和”の理念と「日米安保」に基づく“軍事主義”との相反する国家路線の中でゆれ動いてきた。1981年5月、当時の鈴木善幸首相が日米首脳会議の共同声明で、初めて日米の「同盟」関係の文字を明記し、記者会見で「シーレーン1000カイリ防衛」を表明して問題を起こした。しかし、これを境としてアメリカ軍と自衛隊の共同訓練が本格化し、日米軍事当局の一体化が急速に進み、それにつれて憲法の“非軍事化路線”は急速に後退していった。

それにもかかかわらず憲法の“平和主義”は死んだわけではない。ソ連の崩壊による冷戦構造の終結とともに国際情勢は劇的に変化し、1993年の細川内閣は従来の自民党政権の対米一辺倒政策を修正しようとした。しかし、細川内閣は首相自身の“政治資金問題”によって短期で瓦解し、保守政権による対米政策の更新は実現せず、どたん場で自民党の軍事化路線は息を吹き返すことになった。

細川政権のあとを継いだ社会党の村山富市首相の自民党政策への追従は、歴史的に極めて大きな責任を持つものである。


ぎりぎりの護憲論

今年はいよいよ自民、民主、公明各党が具体的に憲法改正案を国民の前に提示することになる。しかし世論調査は「改憲」自体には賛成が5割を超すが、「第9条改正」についてはいぜん60%が反対しているのが現状である。「世論」は明らかに矛盾し、迷っている。

長谷部恭男氏(東大教授)が指摘したように「自衛隊の存在はすでに内閣法制局の有権解釈や法制度を通じて公に認められている」(2004年5月6日「朝日」夕刊)「今以上に自衛隊の装備や活動範囲を拡大することは国民の安全や日本の将来にとって利益になるとは思われない」というのが長谷部氏のいうぎりぎりの護憲論であろう。その意味でも「集団的自衛権行使の禁止」は堅持されなければならない。


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか

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