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困難な新教皇の課題

「あけぼの」2005年7月号より) 酒井新二


ヨハネ23世の画期的な「第2バチカン公会議」によって、カトリック教会は神学的再生を果たし、「現代に生きる教会」として新しい生命をとりもどした。そしてヨハネ・パウロ2世は、その26年余りの在位期間に「再生した教会」を、全世界に身をもって宣教し続けた。現代のカトリック教会は、この2人の教皇によって全く新しい姿を世界の人々の前に現したといっていい。そして今、ベネディクト16世はこの2人の先任者が切り拓いた道を継ぐ、極めて困難かつ課題に満ちた道を歩み始めた。

前任者ヨハネ・パウロ2世の最後の10年は、重病の中で命脈を保っていたといっても過言ではない。その険しい時代に教皇を支えたのはラッツィンガー枢機卿を中心とした人々であり、その意味で新教皇の出現は、実質的に前の時代の延長線上にあるといっていい。

無名に近かったヨハネ・パウロ2世が、教会の先導者になろうとはだれも予想しなかった。それだけにソ連崩壊の遠因となった前教皇の祖国ポーランドの民主化運動への支持をはじめ、世界を股にかけた宗教外交、特にユダヤ教、イスラム教との和解への努力などすべて意外性に満ち、内外から大きな支持を得ることができた。

しかし重病下での教皇職へのこだわりには強い批判が伴ったことも否定できない。その意味で最後の10年間の評価と責任は、前教皇を支えたラッツィンガー枢機卿(現教皇)も分かち持たねばならぬものである。したがって新教皇の出現には前教皇のときのような“意外性”はないし“継続性”のみが強く印象に残るのである。しかもベネディクト16世には前教皇のような外交的カリスマは感じられないし、教義上の保守性のみがクローズアップされることもやむを得ない。


“復古”の協力者

ヨハネ23世の「第2バチカン公会議」による“教会再生”の輝かしいイメージに対して、ヨハネ・パウロ2世登位(1978年)以降、教会の“復古”が語られるようになったのは主として教理省担当のラッツィンガー枢機卿の存在によるとみられている。「第2バチカン公会議」の実態は必ずしも教会刷新一色ではなく「革新」と「保守」の“2つの潮流”のせめぎ合いであった。「革新派」の主張は、従来の教会観が「それ自体完結した団体」として、世界の流れと離れた、閉鎖的、固定的なものであるとしたのに対し、新しい教会観はそれを打破しなければならないと主張した。その教会観は、
   (1)聖職者も信徒もひとしく“神の民”であること
   (2)教会一致運動と諸宗教との対話の重視
   (3)キリスト教の諸文化への受肉(インカルチュレーション)
   (4)教会は世界と無関係に存在するのではなく、世界のまっただ中にあ
     るものであるとの認識に立ち、教会の根本的組織改革が必要である
とした。

これに対し保守派は、このような「公会議」の革新性を後退させ、その革命的推進力を止めようとした。そのような“復古”の動きの中心的役割を果たしたのがヨハネ・パウロ2世…ラッツィンガー枢機卿ラインだったといっていい。教理省を中心に多くの教皇文書が発表され、「第2バチカン公会議」の性格を“是正”しようとした。

前教皇は、教義や伝統的価値観については極めて保守的であった。避妊・中絶は宗教的罪であると断じ、結婚前の同棲、同性愛も否認し、女性司祭の登用には消極的だった。「エイズ」のような病気にも、自然に反するとして避妊を否定する態度をとり続けた。


革新的宗教外交

このような前教皇の教会倫理についての保守性は、その宗教外交面の革新的態度と全く対照的だった。

2000年“ミレニアム”の年に、念願の中東聖地訪問を果たしてユダヤ教、イスラム教との対話を実現し、キリスト教徒のユダヤ人迫害と反ユダヤ主義を詫びた。またナチスの台頭を、共産主義に対する防波堤として明確に反対しなかったことを誤りとして卒直に認めた。ギリシャ正教との関係改善(2001年)、キリスト生誕の地パレスチナを訪問して「パレスチナは故国を持つ権利がある」と明言して、パレスチナ人の熱狂的歓迎を受けた。シリアではイスラム教のモスクを初めて訪問した。(2001年)


“原理主義”との対決がかぎ

前教皇は、終始あらゆるかたちでの戦争・テロ行為に絶対的反対を表明し続けた。「9.11」降極端に右傾化し、ブッシュの対テロ戦争を積極的に支持したアメリカのキリスト教原理主義を強く批判した。

これに対し「新教皇は四半世紀にわたって教義の厳格な解釈と適用を進めてきた人物として有名である。下手をするとカトリック世界を『真の信者』と『いいかげんな信者』に分裂させかねない」と「ニューズウィーク誌」(5月4日~11日号)は書いた。「新教皇は教会の力は信者の数より教義に宿ると信じている。その信念をどこまで強く貫くかで、カトリックの未来は変わるだろう」(同誌)

新教皇をよく知るエルウィン・ガッツ神父は「確かに新教皇はきわめて強烈な個性の持ち主だが、冷酷ではない。強い人間は寛容の精神をそなえもつものだ」(同誌)ともいう。

新教皇は初めての説教で「与えられた務めを真摯(しんし)に受け止め、『信じる者を見捨てず、絶えず導いてくださる』神にゆだねる」と述べた。しかしイエス・キリストは“信じない者”も見捨てないのではなかろうか。


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか

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