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『茶色の朝』読みましたか

「あけぼの」2005年8月号より) 新谷のり子


「9条改正」の意図が見える

自宅近くにモンタナ修道院があります。ある日の昼下がり、母親と思える若い女性が幼い子どもに何か話しかけながら、修道院の生垣の前で足を止めている姿が目に入りました。指さしながら話す熱心な様子に興味が湧き近づいてみると、その生垣には縦1メートル、横4メートル程の看板に、虹とオリーブの枝をくわえた鳩の絵と共に、「憲法9条を世界の宝に」の文字が鮮やかに描かれておりました。体中の細胞が活きかえり、身震いが通りすぎました。私と同じように、「勇気をいただきました」という周辺住民の声が修道院に届けられているそうです。

日本国憲法(平和憲法)が施行されて、今年で58年目をむかえました。時代の推移の中で現行憲法の見直しが叫ばれ、衆参両院に憲法調査会が設置され、5年の歳月を費やして最終報告書が議長に提出されました。しかし、最終報告も待たずに、新憲法試案要綱が自民党から出てきました。熱心な改憲論者にとって、「存在する脅威」への対抗として、日米同盟強化のための集団的自衛権行使が最大関心事であるようです。国民が小さくされ、国家が強調されているように思えます。「9条改正」の意図がはっきりと見てとれます。

全国民の意見として「戦力」と「交戦権」を持つことを禁止した第9条第2項があるにもかかわらず、イラクに自衛隊を派遣している現実があります。首相の靖国神社参拝や教科書、領土問題などが契機となり、過去の侵略戦争に対する政府の姿勢そのものが、中国や韓国では強く批判され、反日運動へと人々をかりたてています。

4月20日付の毎日新聞によれば、「9条改憲を歓迎し、集団的自衛権の行使の容認を後押ししてきた米国内でも、『反日』を機にアジアの不安定は望まないという慎重論が出てきている」「自衛隊の役割拡大は、日本だけでなく中国や韓国のナショナリズムを増幅させる」(バーガー・ボストン大準教授)。

5月9日付の同紙には、このような記事も掲載されておりました。第2次世界大戦でのドイツ降伏から60年を迎えたヨハネス・ラウ前大統領との会見記です。「罪を犯した者は、罪を墓場に持って行き終止符を打ちたがるが、人間の道徳に深いショックを与えた罪は、次の世代にも伝わる」「若い世代は、前世代から残された罪を自覚し、歴史を直視する義務がある。罪を認めることなしに、和解はあり得ない」。ドイツ州議会で極右政党が伸張している点については、「極右が私たちをどこに連れて行こうとしているのか、目を見開いてゆかねばならない」と警告。


いつのまにか「茶色」の社会に……

「『茶色の朝』読みましたか」小さな会合で出会ったシスターに声をかけられました。「いいえ」と答えた私に、小さな絵本(フランク・パヴロフ=物語、ヴィンセント・ギャロ=絵)がプレゼントされました。この寓話(ぐうわ)の読後すぐに、第2次大戦下のドイツでナチスから教会を守ろうと立ち上がったルター派の牧師、マルチン・ニーメーラーの告白を想い出しました。「ナチスが共産主義者を弾圧したとき、私は不安に駆られたが、自分は共産主義者でなかったから、何の行動も起こさなかった。その次、ナチスは社会主義者を弾圧した。私はさらに不安を感じたが、自分は社会主義者でないので、何の抗議もしなかった。それからナチスは学生、新聞、ユダヤ人と順次弾圧の輪を広げていき、その度に私の不安は増大したが、それでも私は行動に出なかった。ある日、ついにナチスは教会を弾圧してきた。そして私は牧師だった。だから行動に立ち上がったが、もうそのときはすべてがあまりにも遅すぎた」

過去の歴史と思っていたニーメーラーの告白が、時を越えてパヴロフの『茶色の朝』に重なり、今新たなメッセージとなって胸に迫ってきます。パヴロフは、ブルガリアに生まれフランスに渡りました。フランスの歴史の中での「茶色」は、ナチス、ひいてはファシズム、全体主義を連想させるそうです。過去のことではなく、今描いた『茶色の朝』の執筆動機を、東京新聞のインタビューに応じて、こう語っています。「フランスの1998年統一地方選で右派が、勝つために極右と手を結ぼうとした。欧州中に極右が拡がり、タンスの衣服を虫が食うように、欧州の旗をかじっている。フランスでは、ユダヤ人やアラブ人への差別がふえ、それをあおるような極右指導者のポピュリズム演説は、支持者を増加させている」

『茶色の朝』は、声高に警鐘を鳴らしてはいません。普通の人々の日常生活を静かに綴(つづ)っています。時の流れに埋没している中で、「茶色」が市民の生活に染みこむような出来事が起こっていきます。動物たち、マスメディア、ホビー、政党……「茶色」以外は認められない社会。それに徐々に慣らされ、「茶色に守られた安心。それも悪くない」、主人公の「俺」の言葉。しかし、友人のシャルリーが、過去に黒い犬を飼っていたかどで逮捕される。そして茶色の朝に、「俺」の自宅のドアが強くたたかれる。わずか30ページにも満たないこの絵本は、ここで終わっています。しかし、その先を想像すると、暗澹(あんたん)たる気持ちになってしまいます。現在の日本社会が茶色に染まっていく兆候を見てとれるからです。

マスコミ報道によると、憲法改正に賛成の意見が増加していると言われます。その理由は、「なんとなく時代に合わないから」という消極的なものだそうです。そして多数の人々は、無関心、長いものにまかれる事なかれ主義を決め込んでいると想われます。それは、無自覚のまま茶色を容認していくことにつながります。

憲法は、国のありようを包括するものだと思うのです。1992年7月、フィレンツェで憲法9条にメロディーをつけた「第9歌謡曲」という曲を唄うチャンスがありました。イタリア語に訳された歌詞が配布されており、終了後の交流会で同時代の男性が感想をのべてくれました。「日本は経済だけが優先されている国との印象だったけれど、平和への理想を掲げた素晴らしい憲法を持っていたのですね。もっと世界にアピールすべきですよ」日本人として誇らしかったのを、今の日本にあって、思いだしています。


著者紹介:
新谷のり子(しんたに のりこ)
「フランシーヌの場合」でデビュー。「人権学習」の講師ほか独自のコンサートで活躍中。著書『フランシーヌはたち』、アルバム「祈り」「うたたち」ほか。

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