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最悪の日中関係

「あけぼの」2005年9月号より) 酒井新二


中国の呉儀副首相が、5月23日に小泉首相と会談する予定時刻の数時間前に、突然会談をキャンセルして帰国してしまったことは、政府・与野党はもとより、一般国民にも電撃的なショクッをまき起こした。この衝撃波はたちまち世界に伝わり、いったい日本で何が起きたのかと驚いたのである。最も冷静であるべき外相、町村信孝がまっさきに怒りの言葉を発したことが、日本政府の受けた衝撃の大きさを示していたといっていい。

この直接の原因が小泉首相の靖国神社参拝の意向にあることは、その後の中国のスポークスマン言明で明らかになったものの、日中関係を震撼(しんかん)させたこの事件の真相はいまだに必ずしも明らかではない。


「サンティアゴ」発言

昨年11月チリのサンティアゴで胡錦涛国家首席に対し、小泉首相は「靖国問題については適切に対処する」と語った。中国側はこの首相発言を「今年は靖国参拝を見送る」という意味と受け取った。それが北京をはじめ外交筋の常識だった。ところがその後の小泉首相の言動は「戦没者の追悼の仕方は他国が干渉すべきものではない」という従来の態度をくり返すばかりか、わざわざ訪中した武部勤幹事長は中国政府高官との会談で「靖国参拝への非難は内政干渉だ」と言明して中国側を強く憤慨させたといわれる。この武部幹事長の言明は小泉首相が今年も靖国神社に参拝する意向があることを予(あらかじ)め中国側に伝え、事実上その了承を得る役割を持つものものともいえるが、武部幹事長の外交センスの欠如からくる言動の稚拙さが、逆効果をもたらしたとみるべきであろう。


外交的配慮欠く参拝

しかし根本的には、靖国問題に関する外交的配慮の欠如と靖国参拝の違憲性並びに対日平和条約第11条違反(注)という、根本的問題を意識的に軽視するという政治的意図の結果であることは明らかだ。靖国神社の“信徒”でもない小泉首相が、わざわざ羽織袴で参拝する姿がそれを示している。

靖国神社はれっきとした宗教法人であり、“政教分離”の原則からも小泉首相の「心ならずも戦争の犠牲となった方に祈る」という常套句は通らない。「心ならずも戦争の犠牲となって死んだ日本人」は、“軍人軍属に限らない。その何十倍、何百倍の人びとは「靖国神社」の外にある。さらに宗教法人たる「靖国神社」が、信仰のいかんを問わず一方的に人びとを“祭神”として祀(まつ)ることも明らかに“信仰の自由”違反であり、「靖国神社」の越権行為である。

小泉首相は任期あと一年余りという最終コーナーにさしかかっており、自民党総裁就任当時の“靖国参拝”という“公約”にこだわって、国政を果たす意思を持ち合わせていないのだろう。小泉純一郎という政治家の器量の限界というべきかもしれない。

それにしても呉副首相がどたんばで小泉首相との会談をキャンセルしたことには謎が多い。前記のように武部幹事長の発言問題がきっかけになったといえるが、それだけではあまりに唐突なキャンセルの意味がはっきりしない。副首相ともあろう人物のこのような行動が、武部発言だけで突然180度変化したということでは説明がつかないからである。そこにはまだ明らかにされていない中国共産党内部の事情が存在しているといわねばならないだろう。


衝撃的キャンセル

いずれにしても呉副首相の「会見キャンセル」によって、日中両国の政治関係は大きく転換したとみなければならない。歴史教科書検定問題、尖閣列島、東シナ海のガス田開発問題、日本ビジネスマンの集団的売春事件(2003年)、“愛国教育”によって根の深い青年層の反日感情、それをかつての“天安門事件”のように「力による弾圧」によって解決することは、今の中国政府にも共産党指導部にも困難である。中国共産党内の保守派による胡錦涛政権ゆさぶりも考えられる。いずれにしても中国側は小泉首相の姿勢を「ナショナリズムへの傾斜であり非常に危険だ」として、小泉政権批判を強めている。

中国社会が豊かになり自由にものをいい易い社会になってきていることは、“反日感情”と“反政府感情”とが紙一重であり、何時(いつ)それが一方に転化するか分からない。“反日デモ”が“反政府デモ”に転化する危険を常にはらんでいるのである。

次のオリンピックを控えて中国としては国内の混乱は絶対に回避しなければならない。北朝鮮問題をどう解決するかも、胡錦涛政権の政治力と指導力をはかる重大問題である。日本に対して批判をかくさぬ江沢氏前首席の意向も眼を離せない。


打つ手なき両国関係

このような多くの課題を抱える胡政権は小泉首相の動向などかまっていられないというのが本音だろう。中国政府は経済的には日本に対しても、アメリカ、EUに対しても柔軟な態度を維持するだろう。しかし政治的にはアメリカに対しても日本に対しても、そして台湾に対しても強硬な姿勢を崩さないだろう。その意味で中国の対日態度、対小泉政権態度は全く変わってしまったとみなければならない。今や「両国政府の間には信頼も理解もまるでない。短期的には打つ手がない」(買慶国北京大学国際関係学院副学長)というのが中国側の代表的見方なのである。

田中角栄首相の訪中による日中復交、鄧小平の再三の訪日、天皇・皇后両陛下の訪中(1992年)などで「日中は過去を乗り越えた」(故孫平化中日友好協会会長)という言は今は色あせた。江沢氏国家首席の訪日(1998年)のころから、「歴史認識」問題が日中両国関係を悪化させた。そして小泉首相の「靖国問題」への固執がそれを決定的なものにしようとしているのである。


注)平和条約11条「戦争犯罪」
 「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し……」


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか

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