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戦後政治の新状況

「あけぼの」2005年11月号より) 酒井新二


「私自身の洗礼名がマリアであること。また、海外で長く生活していた中で、出会ったイタリア人、ポーランド人、アフリカ人の友人たちにもマリアという名前を持つ女性が数多くいます。実際、マリアもしくはメリーという名前は宗教に関係なく、全世界の女性たちの中で最も多い名前の一つであります。かつて出会った素晴らしい友人たちの名前を使用することは、仕事をしていくうえで、私にとって大きな精神的支えとなります。そしてまた、様々な社会的事件の背景に、歪んだ母子関係、母親から十分に愛されなかったという事実が見られるものがあります。マリアという『優しく、慈悲に富み、温かい』という一般的なイメージから、この助産院を訪れるお母様一人ひとりが、我が子に対してそのような存在であって欲しいと願ってやみません。また私自身も、様々な悩みや困難を抱えてこの助産院を訪れるお母様一人ひとりにとって、『優しく温かい』存在でありたいと望んでいます。そのような理由から、この名称に決めました」


小泉政治の本質

こんどの選挙の真の焦点は、小泉総理の本質をどう見るかということだった。彼を典型的ポピュリスト(大衆迎合主義者)とみるか、戦後の自民党政治に見られなかった“新保守主義”の旗手と見るか-である。小泉氏が自民党総裁に選ばれたとき世論は80パーセントという圧倒的な支持率を与えた。この国民的人気は現在も50パーセントをやや切ってはいるが総理4年余りの実績としては異例といっていいほどの高さであり、こんどの選挙でも勝利を予想させるものであった。この小泉人気を支えているものは、一見、歯切れのいい演説と政敵を攻撃する遠慮会釈のないパフォーマンスの巧みさであろう。

小泉総理にとって戦後自民党を支えてきた派閥連合の政治は何の力にもならず、特にその中核的存在である旧田中派-竹下派-橋本派という“旧経世会”は最大のライバルであり、彼の口癖である「自民党をぶちこわす」ということは、実質的には“旧経世会”の打倒であると言っていい。しかしそのことは必ずしも自民党の“派閥政治”の打破を意味するとはいえない。小泉総理が自らの出身派閥を脱会したという事実はないし、会長の森嘉朗前総理との関係も密接である。

しかし小泉総理は岸信介-佐藤栄作-福田赳夫-森嘉朗という系列に属してはいるが、派閥そのものに有力な地盤を持っているわけではない。加藤紘一・山崎拓両氏との“3人組”を派閥横断的に形成してきたのも、旧派閥における基盤の弱さを補うためであった。そのことは自民党内の旧態依然たる“派閥体質”からの脱却というプラスイメージを国民に印象づけるうえで大いに役立った。


アメリカ一辺倒の姿勢

小泉総理のもう一つの戦略はアメリカ、特にブッシュ政権への一辺倒的接近だった。そのために小泉総理は思い切った対米協力を次々と実行した。特に9.11以後、窮地に立ったブッシュ政権が強行したアフガン進攻とそれに続くフセインのイラクに対する強行な戦争に対し、違憲すれすれの軍事協力を断行した。そのために小泉総理は「武力攻撃事態法」「自衛隊改正」「安全保障会議設置法改正」「テロ対策特措法」「周辺事態法」「イラク腹興支援特措法」などの違憲的立法を強行したのである。

このような対米協力立法によって、小泉総理は自民党内の反小泉勢力を押さえ、派閥の圧力を排除していたのである。今度の郵政民営化法案も「官から民へ」というキャチフレーズで党内の反小泉派や民主党など野党の抵抗を押さえようとした。しかし実は340兆円におよぶ郵貯資金を狙う米国金融界やそれと緊密な関係にあるブッシュ政権の強い要望に答えるものであることも事実である。小泉政権はブッシュの意向を最大限尊重することによってその存立を維持しているといっても過言ではない


若い世代のナショナリズム

日本の政界は戦後60年たってもいまだに主体的行動原則を確立することができず、憲法と「日米安保」の矛盾の間で揺れ動いている。小泉総理の行動が国民の支持を受けているのは、そのような自民党的あいまいさに国民が倦(う)んできたことと敗戦の記憶にこだわらぬ若い世代が“ナショナリズム”に親近感を持ち始めているという、今の日本の社会状況を反映しているといっていい。その意味で今の政界はこのような日本社会の現実を十分反映していないことになる。そのことは日本政界のいわゆる“55年体制”-保守合同と左右両社会党統一による事実上の“自社談合体制”-の終焉を意味する


国民は非情政治に反対

そのことは“55年体制”の社会民主主義的性格から米国的自由競争体制への転換である。それは強者優先弱者切り捨ての“非情”な政治、“非情”な社会への転換を意味する。“非情”は単に今度の総選挙における“反小泉”グループに対する小泉総理の”非情な態度に止まらず、その政治手法そのものを特徴づけるものというべきだろう。

国民は果たしてそのような“非情な政治”をよしとするのであろうか。国民の真意は 戦後50年の自民党的派閥優先の政治の集騰を期待しているのであって、決してリベラリズムによる強者優先の”非情政治”ではないだろう。それは20年前のレーガン・サッチャー流のネオリベラリズム政治であって、それはアメリカにおいてもイギリスにおいても20年前にとつくに卒業してしまったものである。

現在の日米の社会状況は小選挙区制にはなじまないといっていい。自民党と民主党による“二大政党制”によってカバーできるほど、日本社会は一体性を持っているとはいえない。アメリカの社会自体が、現在では共和・民主の二大政党ではカバーできないところへきているように思われる。ブッシュ大統領にとってイラク戦争の事態は急速に“ベトナム戦争”化しており、米軍徹退のめどがつかない泥沼状態に陥る危険をはらんでいる。同様にイラクに派遣された自衛隊の徹退や、北朝鮮との6者会議などの外交問題、憲法、教育などより基本的問題がほとんど無視されているところにこの総選挙の不毛性が示されているというべきだろう。


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか

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