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自民党の憲法改正案

「あけぼの」2006年1月号より) 酒井新二

自民党は2005年10月28日に「新憲法草案」を決定した。この憲法改正案の提案は小泉政治の最後を締めくくるものである。小泉首相がくり返してきた違憲的立法(周辺事態法や武力攻撃事態法など)、違憲的行動(靖国神社参拝)はすべてこの“憲法改正”を先取りしたものであり、小泉首相の“違憲政治”を特徴づけているものといっていい。さきの靖国神社参拝の強行は、大阪高裁の靖国参拝違憲判決への公然たる挑戦であり、小泉首相の“違憲政治”を内外に示すデモンストレーションであった。小泉首相の憲法感覚は歴代の自民党総裁・総理の中でも全く異質のものである。自らの政治目的達成のためには敢(あ)えて違憲的行動も平然と実行する。その意味で彼の法感覚は“政治”を“法”の上位におくものであり正に“ファシズム”的政治観というべきであろう。

その意味で自民党が今度公表した憲法改正案そのものが小泉首相のこれまでの多くの政治行動と立法行為が違憲性の極めて強いものであったことを証明するものとなったといわなければならない。したがって自民党が明らかにした“憲法改正”案が実現するまでは、小泉首相の従来のような政治、立法行動は許されないものであったということを自民党自らが国民に示したことになるのである。


改憲案の中身

自民党の改憲案はまず「前文」の全面書き換えで「日本国民自らの意思と決意に基づき主権者としてここに新しい憲法を制定する」として「自主憲法」制定を強調した。その“憲法改正”の最大の眼目である第九条について①当初、外すことになっていた第一項の「戦争放棄」条項を後述の理由で維持することとし②第二項で“自衛隊に代わり“自衛軍”の保持を明記した。③この“自衛軍”は「国際平和の確保のための国際協調活動」を認め、海外での武力行使を伴う活動に道を開いた。現憲法の解釈では禁じられてきた“集団的自衛権”(アメリカが日本の領域外で武力行動する場合日本も同調することができる)の具体的条件は今後の「安全保障基本法」(仮称)に委ねられたが、原則的には公認されることになり、現行九条の“非戦”条項は破られることになる。また④「国の環境保全の責務」という形で“環境権”を盛り込んだが、これは民主党や公明党の主張に配慮したものであり同時に「憲法改正」を国民にも受け入れ易いものにするための緩和剤的役割を持たせるものである。しかしこのような“環境権”は多くの憲法学者が、現憲法においても十分に実現されるものであることを主張している。


“第九条”の焦点

“憲法改正”の眼目である第九条の改正については小泉首相の指示で第一項の「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という基本線を維持することになった。首相の考えでは「第一項は国民が支持し国際的にも認められている」というものだが、現憲法第九条第二項の「戦力不保持、国の交戦権否定」を削除、それに代わって前期のように第二項に「自衛軍」保持を明記、その目的・任務を具体的に規定することとした。それによって懸案の“集団的自衛権”の行使が可能になるのである。

この第九条第ニ項の追加がこんどの憲法改正案の最大の焦点であるが、しかし第一項の原則と第二項との間の矛盾、食い違いはいっそう明らかとなった。自民党の改正案は第九条第二項で自衛軍の目的を「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保する」とし、また「緊急事態における公の秩序を維持または国民の生命、自由を守るための活動」を盛り込んだ。この第一項と第二項を総合的にどうとらえるかはいっそう困難なものとなったというべきだろう。

また「前文」で原案では「愛国心、国防」などの考えを盛り込んだが「日本国民は帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し……」とトーンダウンした。しかし小泉首相の“靖国参拝”に象徴される愛国主義と国際的平和主義との基本的矛盾、また2005年9月の大阪高裁判決が“総理大臣の靖国神社参拝”を明確に憲法の“政教分離原則”違反としたことを確認しなければならない。自民党の歴代内閣特に小泉内閣は「周辺自態法」や「武力攻撃事態法」などの違憲的立法をくり返すことによって、その場しのぎの安易な解決をはかってきた。しかしこのような弥縫(びぼう)策も限界にきている。自民党内閣はもはや憲法憲法改正以外にないところまで追い込まれているのである。


小沢一郎氏の批判

小沢一郎氏は“小泉政治”を次のように批判した。(2005年11月2日「テレビ朝日」)

「小泉政治の最大の問題は、自分のパフォーマンスさえ完結していればそれでいいのだと考えていることだ。小泉さんが自分の思想、信条からタカ派かどうかはあやしい。靖国にしても彼が総理になる前に真摯(しんし)に参拝したとは聞いていない。パフォーマンスで政治をやるのは一時国民の喝采(かっさい)を博するかもしれないが、将来の日本を危うくするやり方である。こんどの内閣は小泉さんの気に入った人、言うことをなんでも聞く人を集めたという感じがする。権力を自分の思うままに使った人は歴代の総理の中でも小泉以外いないと思う。権力を恣意(しい)的に、権力を維持するために徹低的に使い、しかもそれを見せないところがうまいところだ」「小泉政治は彼の言葉とはウラハラに一番役所に依存しているのではないか。もう一つは“ポピュリズム”、大衆迎合、人気取り敵な政治––この2つが最大の問題である」「小泉政治のもとで企業でも勝ち組、負け組の差がどんどん開いてきている。正直ものがバカを見る世の中ではいけない」

同じく現在の日本政治の中で役割を果たしている政治家の言として、この小沢氏の小泉批判は確かに的を射たものであるというべきだろう。


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか

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