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日・中の外交的誤算

「あけぼの」2006年2月号より) 酒井新二

日中両国の関係はいま極めて危険な状態にある。その原因は、小泉政権と胡錦涛(こきんとう)政権双方の重大な外交的誤算に起因しているといわねばならない。その直接の原因は、いうまでもなく小泉首相の5回にわたる靖国参拝にある。“政教分離”という日本憲法の原則に照らせば、明らかに“総理大臣”としての小泉氏の行動は法律的・政治的過ちを犯したものというべきである。しかしその点では、自民党の歴代の総裁総理が“靖国参拝”を敢えて実行してきたことも道理である。

代々の総理大臣が“靖国参拝”を行ってきたのは、日本人特に日本の政治家の宗教理解のいいかげんさに起因しているといわねばならない。多くの保守党政治家には靖国神社が“国家神道”という国家的宗教の象徴であるという認識がほとんど存在していない。彼らにはそもそも“政教分離”という憲法上の原則が具体的に何を意味するかという理解が欠落している。

戦前上智大学と暁星中学のカトリック学生の靖国参拝拒否に対する懲罰として、当時の軍部は“配属将校”を引き揚げるという厳しい態度を示した。当時の日本カトリック教会の指導者は“靖国参拝”が宗教的行為ではないとの理解を文部省に嘆願し、ようやく弾圧を逃れたのである。しかしこれを契機に、日本のカトリック教会は“軍国主義”に屈伏を余儀なくされた。


参拝は政治的思惑

小泉氏は総理になるまで、毎年“靖国参拝”を実行していたという話は聞いたことがない。それは自民党総裁選において、当時の遺族会会長橋本龍太郎氏に対抗するために揚げたスローガンであった。それにもかかわらず小泉首相は2001年の最初の“靖国参拝”前には「私も迷っている。世論調査によっては正反対の結果が出てくる」と不安を漏らしていたという。小泉氏の“靖国参拝”が宗教的信仰に基づくものではなく、政治的思惑によるものであることがよく分かる。


通じぬ小泉流

中国・韓国の“靖国参拝反対”の声が高まり、特に中国との間では、総理・外相級会議も実現しないという事態に対し、第5回参拝(05.10.17)では、小泉首相なりの配慮がなされた。「一国民としての参拝」を初めて明言、記帳・供花料奉納をやめ、本殿にも上がらず、拝殿前の祈りにとどめ、ポケットから僅(わず)かなマネーを献金するなどのパフォーマンスをやってみせた。国会答弁でも東京裁判の結果を受け入れ、A級戦犯を“戦争犯罪人”と呼んで、彼らへの参拝ではないことを明らかにした。

これは中国・韓国への考慮と、9月の大阪高裁判決が「内閣総理大臣としての靖国参拝は憲法違反」を下したことに対する配慮がうかがえた。このような小泉首相の行動は過去に中国側が示した条件をクリアしたものとの思いがあったことは疑いない。しかし中国側の国内事情はすでにこの状態を越えてさらに厳しいものとなっていた。ここに日・中双方の不幸な食い違いが生じた。小泉首相はこのような中国の態度に反発し、10月末の内閣改造では官房長官に安部普三、外相に麻生太郎という強靭な靖国参拝論者を起用し、中国に対する反発を公然化したのである。


“黙契”の破棄

日中両国間には、1985年の中曾根首相(当時)の靖国公式参拝以後、日中外交当局間には「日本側は首相、官房長官、外相の靖国参拝を控え、その代わり中国側は他の閣僚の靖国参拝を問題にしない」との“黙契”(暗黙の約束)が成立したといわれる。小泉首相の今度の措置は、この“黙契”の破棄を意味することになる。これによって“靖国問題”は日中両国にとって今や、東アジアのヘゲモニー(主導権)争奪の具になってしまったといわなければならない。これは小泉首相にとっても胡錦涛国家首席にとってもある意味で意外な展開であり「こんなはずではなかった」との思いがあるに違いない。一国の命運をあずかる政治家にとって、最も避けねばならない外交的誤算である。

2003年3月、中国では国家首席が江沢氏(26年生)から胡錦涛(42年生)に代わった。抗日戦を知らない世代が、はじめて中国の頂点に立ったのである。これによって中国は日本の侵略の歴史的呪縛から解放される条件ができるはずだった。しかし現実はそう簡単ではない。前記のように日中両国は再び“靖国”という古い重荷によって新しい展開を妨げられている。“新しい中国”をめざす胡錦涛と、“古い中国”を代表する江沢氏の対立は、中国の対日外交に暗い影を落としている。

2003年10月、バリ島での小泉首相と温家宝首相との会談直後、小泉首相が靖国参拝について記者団に「「中国側も理解している。日中友好の阻害とはならない」と発言したことは、温首相の面子をつぶす結果となった。小泉首相の中国を理解していない不用意な発言であった。これを境に中国の対日強硬派が台頭、尖閣列島に上陸を強行するなどの事件が起きた。


胡主席の失点

しかし胡錦涛主席は2004年11月、チリのAPEC(アジア太平洋経済協力首脳会議)の際、中国指導部内の反対を押して小泉首相の強い求めに応じて会談した。しかしその後の日中関係悪化につれて、胡錦涛の政治的失点となってしまったのである。その後2005年2月下旬、ワシントンの日米安保協議(2プラス2)で、「日米共通戦略目標」に台湾問題が盛り込まれたのをきっかけに、中国内では民衆の反日デモや反発が高まる結果となった。

このような日米軍部の一体化が中国軍部を刺激し、日中関係をますます困難なものにしている。その上、中国共産党の“愛国教育”の推進は、民衆の自信を過剰に燃え上がらせ、その予先を日本と台湾に向ける結果となっている。これは中国の共産党局が民衆の不満をかわす安易な政策に陥っていることを示すものであり、極めて危険な徴候といわねばならない。


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか

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