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日本社会の構造的変化

「あけぼの」2006年3月号より) 酒井新二


初の人口減

厚生労働省が2005年12月に発表した人口動態統計によると、日本の人口は2005年中に初めて自然減に転じる見通しであることが明らかとなった。

1889(明治32)年2本が人口統計を取り始めて以来のことである。当初の予想では人口減に転ずるのは2006年からとされていた。それが一年も早まったののは床子化が一層進んだのとインフルエンザの流行で死亡数が出生数を一万人以上、上回ることになったなどによるものだという。長寿化と出生率の低下による人口の自然減は日本の歴史上初めてである。先進国の人口減少は世界的減少であり、それ自体それほど問題にすべきではないが、日本の急激な人口減は、三千年前に始めて指摘されて以来その速さは先進国中でも異常といえるほどである。フランスの1.90%、スウエーデンやイギリスの1.71%に比べても日本の1.29は極度に低い。

人口の減少は先進諸国共通の現象だが、日本の場合それが急激なことと、その理由が勤労層に対する保育施設の不備、年金などの制度設計の不十分、「ニート」や「フリーター」の増加対策など、総合的な人口政策がほとんど検討されてこなかったところに大きな問題がある。しかも歴代の自民党政府は30年も前から人口減の発生に気づきながら、当面の政治・経済政策にには関心を持っていても、国の最も根本的な人口問題については何の対策も用意してこなかったのである。

政治の根本は国民の生活向上と平和の維持を如何にして保持するかである。その意味では社会保障や安全保障などの基本的問題について、国会やマスメディアの論議が極めて少なかったことは怠惰のそしりを免れない。

違憲のおそれがあるイラクへの自衛隊派遣が安易に実行されたり、防衛予算の国会論議がおざなりであったりすることは、国の基本的問題に対する政治家の関心の欠如を示すものといわなければならない。


「新中国大衆」の出現

1984(昭和五十九59)年に、経済学者故村上泰亮氏は「新中国大衆の時代」という興味ある著作を出版した。これは1960年から80年代にかけての日本の政治・経済・社会の分析を通じて、戦後の日本国民が自民・社会二代政党のイデオロギー的対立から利害中心の非イデオロギー的社会の選択へ変化する過程を示した論述であった。

村上氏の「新中国大衆」という概念は戦前・戦後の日本社会の構造を実質的に支えてきた。“中流階級”が1960年代後半以後の高度成長期にその性格を変え、それに代わって現れた新しい階層に名づけたのが”新中国大衆”であった。マルクスが資本主義型産業社会を「「資本家階級」と「労働者階級」に二分したことはよく知られている。

これに対して非マルクス主義経済学者は、没落した旧中流階級である地主や伝統的商工業者に代わってホワイト・カラーを中心とする「新中流階級」の存在を主張した。当然のことながらそこでは「階級」という言葉は、マルクス経済学が主張する意味とは違って「階層」というほどの意味で使われている。“新中流階級”とは体制の管理者階層であり、産業社会を支える自覚的な担い手であった。

これに対し村上氏のいう“新中間大衆”とは必ずしも管理者ではなく、産業社会の受動的受益者であり、新しい文化的リーダーを目指すものでもない現在中心、情緒指向、余暇指向、私生活指向の大衆階層のことである。村上氏はその基本的性格を“保守的”ではなく“保身的”な存在と表現した。それは“豊かな社会の到来とその社会におけるイデオロギーの終罵”をも意味する。

社会主義を掲げた社会党はもとより“自由主義”イデオロギーをもつ自民党に対しても”新中間大衆”は懐疑的なのである。その意味で“新中間大衆”は自民党の“保守主義”にも全面的な支持を示さない存在なのだと村上氏は指摘した。そのような“新中間大衆”の存在は、日本社会をかつてのような、“中流階級”を中核とした堅実さを失った社会にしたというわけである。

現在の日本社会が全体として極めて自己中心の利己的社会になっていることを考えれば、村上氏の指摘は的を射たものというべきだろう。同時に日本の現在の政党もそのような日本社会の風潮を反映した無理念、無理想の存在に堕しているといわねばならないのではなかろうか。


貧富の格差の拡大

現在の日本経済のかかえる重要課題は、経済学者伊藤光晴氏が指摘するように
    ①財政破綻
    ②不平等の進行
    ③労働政策の崩壊
の3点に集約されるといっていい。(「世界」2006年1月)それによれば第一の財政破綻については2005年度予算で税収、税外収入(47.8兆円})から膨大な国債費(18.4兆円)の返済、国の地方への交付金(16.1兆円)を差し引いた残り(13兆円)では支出をまかなえず、残りは公債発行(34.4兆円)でまかなうしかない。家計なら当然破産である。これは1990年代のバブル崩壊によって税収が落ち込んだのと、減税の続行、人口の老齢化に伴う社会保障費の増加が主な原因である。

赤字国債が発行され出したのは九六年度以降であり、そして何よりも小泉内閣のもとである。日本は欧米や途上国に比べて平等な社会だといわれているが、それは欧米のような極端な資本家、高額所得者が存在せず、インドのような極端な貧富の差も見られないことを意味しているに過ぎない。しかし問題は、大多数の中間所得層を中心とする多数の国民の不平等の度合いなのである。

現在の日本社会は“新中間大衆”の崩壊過程にあり、貧富の格差がいxるそう拡大し、「ニート」と呼ばれる若ものの急速な増加、自殺者の異常な増大など不健全な現象が目立ってきた。これは、民主主義社会の根底を崩壊させる危険をはらんだものであるといわなければならない。


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか

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