home「時」の歩み>非暴力考

「時」の歩み

バックナンバー

非暴力考

「あけぼの」2006年8月号より) 弘田鎮枝


歌・踊り・太鼓……

3年に一度アジアで行われる「アジア―太平洋修道女会議」(AMOR)が2006年4月24日から5月4日まで韓国から開催されました。広い敷地内につづじが美しく咲き誇っているアーロン黙想センターは、ハンセン病療養所のあるラザロ村の中にあります。アジア、太平洋の20か国から集まった70人と、韓国からの参加者の総勢100人が、「マリアとアジア―太平洋の修道女・観想の預言者」というテーマで、見る、聴く、深める、祈る、分かち合う、識別する、そして行動への時を、ともに過ごしました。会議の内容も有意義でしたが、韓国で感じたことをお話したいと思います。

 

最初の開会式から、典礼、文化交流と、実に色鮮やか、音と舞いの織り成す豊かな韓半島の伝統に魅了されました。ソウルには民俗音楽と舞踏を紹介する観光客向けの劇場もあります。最終日には、教会の婦人会と思われる方々が、民族衣装を着て、打楽器を奏で、踊りながら感謝のミサの先導を務めました。この種の集まりでは、かならず各国の文化紹介の夕べがあるのですが、いつも日本は出し物に困ります。アジアの国は、どこの国でも美しい民族衣装にそれぞれ独特な歌や踊りの民衆文化の表現があるのに、日本はだれでもが簡単に紹介でき、しかも魅力的な民衆文化に乏しいのは何故だろう……。

 

韓国の伝統文化は、チマチョゴリの派手やかな美しさ、チャンゴ、ケンガリ、プク、チンなど楽器の力強さを誇り、奏でる者、舞う者の思いが伝わるようです。韓半島の民族は、35年にわたる「日帝」の支配、政治的抑圧、経済的搾取、あらゆる形の人権侵害の歴史を持っています。言葉を奪われ、名前さえも征服者によって変えさせられたその痛恨の傷を抱えた人たちが、自分たちのアイデンティティを主張し続けたのは、歌や踊りによってではなかったのでしょうか。言葉を奪われても、音と響きがあり、名前を変えられても舞いあがったのではなかっただろうか。たとえ押しつぶされていても、母親が子どもに歌う歌、子どもたちの遊びの動作、村人の寄り合いでの手拍子まで、消すことはできなかったのかもしれない。そう思ったとき、グアテマラやメキシコの先住民族の踊りや歌、民族衣装の美しさも心に浮かびました。ここにも人間であることさえ許されなかった民族の「恨(ハン)」の歴史と、にもかかわらず生き抜いてきた人々の自己表現が、しっかりと民衆の心と体に刻まれています。

 

歌と踊りと打楽器を、抵抗の表現とすることの豊かさと美しさを感じています。それは激しい暴力的な行動ではなく、言葉でなく、方言でもない。敵対と敵意を通り過ぎ、人間としての感性に訴え、痛み、苦しみ、懐かしさを共有させる不思議な力を持っているのです。


辺野古

沖縄、辺野古の基地建設を阻止する闘いが続けられています。辺野古の地元の人たちが2年にわたって連日あるときは連夜続けている座り込みは、阿波根昌鴻(あわごんしょうこう)さんの非暴力の抵抗の伝統(むしろ霊性と言いたい)を大切にしています。「話すときはかならず座る、手は肩以上決して上げない、たとえ防衛庁の人であっても、来ればお茶を出して座って話す」のです。

 

沖縄県民の7割が反対している沿岸基地建設を、今、日本政府は強引に推し進めようとしていますが、沖縄「復帰」35年の5月15日、防衛庁前での抗議行動後、都内で集会が開かれました。阿波根さんの遺志を継ぎ、辺野古の運動のリーダー的存在である平良夏芽牧師の言葉が、心にずっしりと落ちました。「辺野古の闘いは、辺野古住民のためだけの闘いではありません。もしそうであるなら、決して長続きはしないでしょう。

 

私たちは、辺野古の基地から飛び立つ爆撃機によって命を奪われる世界の子どもたちのことを考えています。私たちの闘いは、世界の人々とともに、世界の子どもたちの命を守るための闘いです」

 

韓国のピョンテク(平沢)で、米軍基地建設に反対している農民の人たちとの出会いの話も印象的でした。辺野古を訪れたピョンテクの彼らに、平良牧師は強く非暴力を訴えたのです。ところが、その後ピョンテクの基地建設予定地を襲った軍隊の暴力によって、辺野古に来てくれた彼らが、無抵抗でやられているのをテレビで見たとき、平良牧師は言葉にならない衝撃を受けたそうです。それは、韓国ほどの弾圧を受けることのない自分たちが、果たして彼らにどうしろなどということが言えるのだろうか、という痛みでした。非暴力を生きることは、困難で、複雑であり、答えは簡単ではない。現実に命が脅かされるような厳しい危険に直面したときに、どこまで非暴力を信じ、生き続けることができるのだろうか。

 

平良牧師たちは、今、沿岸案計画阻止を準備して、ある人たちは潜水士の資格取得を準備し、ある人はダイビング学校に行き、皆、体を鍛え、収入のない生活が続いてもよいように、仕事に精を出しているそうです。「反対、反対と口先だけで言っていても、どうにもならない。非暴力で命を守るために、体で阻止できるようにするのです」。2年前には泳げなかった人たちが、海上のやぐらで座り込みを続けているうちに泳げるようにもなったとか。

 

また「とても真似のできない」素晴らしい人たちに出会ってしまったと感じています。打たれても打ち返さない、この上もない優しさを力強く表現する、アイデンティティを歌で、踊りで、楽器で謳(うた)い続けるエネルギーが、ゆるやかに地球上に広がることを祈りたい気持ちです。祈りながら、何かをしなくてはという思いと望みを大切に抱いて、歩き続けたい。一緒に歩きませんか。


著者紹介:

著者紹介:
弘田 鎮枝(ひろた しずえ)
ベリス・メルセス宣教修道女会修道女

▲ページのトップへ