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昭和天皇の“靖国批判”と“戦争責任”

「あけぼの」2006年10月号より) 酒井新二


“富田メモ”

「日本経済新聞」が7月20日朝刊一面トップで「A級戦犯靖国合祀、昭和天皇が不快感」というスクープを大見出しで報道した。「参拝中止『それが私の心だ』(富田元宮内庁長官発言をメモ)」というショッキングなものだった。東京各紙も同日の夕刊でこれを追った。天皇のニュースが東京各紙の一面トップを飾るというのも久ぶりのことである。

昭和天皇がこれほど明確に、A級戦犯を合祀した靖国神社の参拝を否定していたことは今までほとんど公にされなかった。その「日経」の報道に対し“天皇の内心”を明らかにすることは反対だという考えを示すものもいるが、私はそのような考えには賛成できない。富田氏(故人)の意向がどうであったにせよ、彼がこの"天皇のことば”を極めて重視し、歴史的発言と認識していたことは明らかであり、それが永久に陽の目を見ないということは恐らく富田氏の真意とは思われない。その意味で富田氏の遺族がこの「日記」を公表させたことを評価するものである。

A級戦犯の合祀は敗戦直後の宮内大臣松平慶民氏の長男松平永芳・靖国神社宮司が「すべて日本が悪いという東京裁判史観を否定しない限り日本の精神復興はできない」「日米が完全に戦闘状態を止めた平和条約発動(1952年4月28日)以前に、東京裁判で処刑された人々は戦場で亡くなった方と同じ」などと合祀の正当性を主張した。A級戦犯合祀は1978年だが昭和天皇は徳川義寛元侍従長や側近を通じて「軍人で死刑になった人はともかく、松岡洋右さんのような軍人でもなく死刑にならなかった人も合祀するのはおかしい」と反対したが松平宮司は受け入れなかったという。

昭和天皇はこの松平宮司の措置を「松平(慶民)の子の今の宮司がどう考えたのか、昜昜と。松平は平和に強い考えがあったと思うのに、親の心子知らずと思っている」と富田メモは伝えている。


“昭和天皇発言”の反響

「週刊文春」〔8月3日号)が、この「昭和天皇メモ」反響を特集している。養老孟司、上坂冬子、保坂正康、櫻井よしこ、石田衣良、丸谷才一、岡崎久彦の各氏が意見を述べている。

養老氏は『天皇の中立性を侵した日経記事こそ問題」としているが、“天皇の中立性”とは旧憲法での天皇のように、すべてを「タブー」にすることではあるまい。「天皇」について国民は自由に語られるものでなかればならない。上坂氏は「スクープの歴史的意義は大きい」と認めつつも、「昭和天皇独白録」で天皇が東条元首相を褒めていることとの整合性を問題にしている。たしかに「松岡・白鳥」の2人は名を明らかにしているが他は「A級戦犯」と一くくりにしていて「東条」の名は書かれていない。しかし「東条」を含めてA級戦犯を合祀したことに天皇は反対していることは間違いない。櫻井氏は「メモの記述は天皇の真意を反映しているか不明」としているが、それはこの「メモ」を読みとる「センス」の問題であろう。保坂氏は「心の問題」では済まない、とし「戦争を肯定するような遊就館の展示もすべて容認すると取られかねないから総理は参拝すべきでない」「崇敬者総代会や厚生省引揚援護局にいた、A級戦犯や旧軍人の人たちによって、戦後社会の旧い枠組みの中でA級戦犯は合祀された。昭和天皇が不快感をもたれたのも当然」としている。


元祖タカ派と新タカ派

「論座」8月号に元自民党幹事長・防衛庁長官、現在自民党安全保障調査会長である山崎拓氏のインタビュー記事が載っている。その見出しは「元祖『タカ派』が憂う浅慮な『タカ』の増殖」とある。

筋金入り「タカ派」が心配する自民党の現状とは何か。

「まあ代表的な例は総理の靖国神社参拝問題でしょうね。小泉チルドレンたちをみても、靖国参拝肯定論で活動している議員の姿がかなり目につく。過去の戦争を肯定したり、賛美したりする人もいる、一種の新しいナショナリズムの台頭ではないかとちょっと心配」

ほんものの「タカ派」にとって、現在の「新タカ派」は従来の自民党=保守本流の限界を超えて、”ネオ・ナショナリズム”(新国家主義)の台頭という現象が見られるところまできている。しかも彼らはそれを意識していないところに二重の危険が存在しているといわねばならない。 


日本人自身の戦争総括

山崎氏が指摘するように小泉首相自身は“平和主義者”を自任し、先の戦争についても、“正義の戦争史観”はとっていないという。しかし“小泉チルドレン”といわれる人びとの中には、「太平洋戦争」の体験はもとより、戦争そのものについての実感は存在しない。アジア諸国に対する“日本の侵略”の感覚もほとんどないといっていい。それは中国や東南アジアの若ものについても同じだが、「侵略された側」の意識と「侵略した側」の意識の違いは全く異なる意味をもつのである。そのことを認識することが重要なのである。その意味で、現在の日本では若ものに対する過去の歴史、特に昭和初期以後のアジア侵略の歴史とその意味についての正確な教育が極めてあいまい、かつ不十分といわざるをえない。

ドイツは戦後、連合国側による“ナチ批判”とは別に、ドイツ国民自らによる“ナチ批判”が行われた。しかし日本では連合国による"東京裁判”はあったが、日本人自身による太平洋戦争の総括がいまだに行われていない。その理由のひとつに“天皇の戦争責任”問題があることは周知のことである。さきの養老氏の言説のように「天皇の中立制」などという“かくれみの”に逃げ込んでいるかぎり、日本人は ”過去の亡霊”から解放されないであろう。


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか

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