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“中川発言”の意味するもの

「あけぼの」2007年1月号より)酒井新二


自民党の中川政調会長に続いて麻生外相までが「核の問題を論議すべきだ」という趣旨の発言をして政界に大きな波紋を投げている。さすがに安倍首相はこれらの発言に対して「政府は非核三原則を守る」と語って内外の批判をかわそうとした。しかし中川政調会長は一向にその態度を改めようとはしない。

“中川発言”とは「北朝鮮が核兵器を持とうとしていますね。日本はそのような事態に対して、北朝鮮が核を撃ってきてからでいいのですか。北朝鮮が核を撃ってきたら『さあどうしよう。アメリカさん助けて!』というのですか。その前に飛んできますよ。7分で。だから今からでも実は議論するのが遅かったのです』というものである。


“非核三原則”を無視

このような核容認論は、今までも自民党のタカ派の中では度々行われてきたものだが、政調会長や閣僚(しかも外務大臣という重要閣僚)から公然と行われたことは初めてといっていい。故佐藤栄作氏が総理のとき、いわゆる“非核三原則”として「核は持たず、持ち込まず、持ち込ませず」という政治原則を内外に宣明した。佐藤氏といえば自民党総理の中でも最も強力な政治力を発揮した人物であった。その人が打ち出した“非核三原則”は日本政界のみならず世界的にも強く支持された戦後政治の“金字塔”といっていい。その故に佐藤氏は日本の政治家として初めてノーベル平和賞を受賞されたのである。

そのような日本の戦後政治の大原則を中川政調会長や麻生外相は易々として破った。さすがに自民党内でもこのような軽率な発言に多くの批判が続出した。11月 5日のNHK政治討論でも自民党の二階国対委員長は“中川・麻生発言”を名指しで批判した。テレビ討論で自民党の国対委員長が政調会長や外相の発言を公然と批判するということは極めて異例のことである。

中川・麻生発言は「あくまで核保有を前提としたものではない。ただそのような論議を封ずるものではないだろう」と言い訳をつけている。しかしこの中川・麻生発言は結局核の“先制攻撃”を認める論議につながるものであることはだれの眼にも明らかであり、政府、自民党が掲げてきた“非核三原則”を白紙に返そうとするものであることは歴然としている。安倍政権が発足してから初めて2つの地方選挙に勝って、中川政調会長も調子にのって、本音が飛び出したのかもしれない。麻生氏はその中川発言に挑発されて、安倍氏と総理の座を争った対抗心と自負心が衣の袖からもれたのであろう。しかし中川発言も麻生発言も政党の“規律”を忘れたおごりから生まれたものであるといわなければならない。特に中川氏は安倍総理と最も近いという自負心が見えすいている。政治的鍛錬を十分に受けていない2世、3世議員が陥り易いおごりがそこにある。


北朝鮮の核実険

中国の胡錦涛首席は、こんどの北朝鮮の核実険について激怒したといわれる。国連の北朝鮮制裁決議に中国が賛成したということは、この胡錦涛首席の怒りの表れであるといえる。中国が主催する「六カ国会議」に北朝鮮が欠席を続け、あげくの果てに中国の意向を無視して核実験を行ったということは中国の面子をつぶす行為である。しかし北朝鮮側に立って考えれば中国が主催する「六カ国会議」が結局は中国とアメリカが協同して北朝鮮を抑えようとする策略であり、それに同調することはやがて金正日体制の崩壊を意味すると解してもおかしくない。金正日はアメリカとの直接交渉によって自らの体制への保障を取りつけたいと念願している。あれほど「六カ国会議」以外北朝鮮とは会わないとしていたアメリカが、日本・韓国をさしおいて突然アメリカ・中国・北朝鮮の三者会議に応じたのは、イラク問題に手を焼いている今のブッシュ政権の苦悩の現われであり、インドやパキスタンの“核”を容認しながら北朝鮮“核”を認めようとしないアメリカの“二重外交”の弱点の現れといわねばならない。しかし中国といえども容易に北朝鮮をコントロールすることはできない。同時に金正日にとって最大の難問は自らの体制をどうやって継続させうるかである。中国の社会主義は、本来政権の世襲を認めないものであり、金日成から金正日への“世襲”は一度限りの例外として認めたに過ぎない。しかし金正日は体制のさらなる“世襲”を考えている。胡錦涛にとっても金正日にとっても今が正念場なのである。胡錦涛が金正日の核実険に激怒しながらも米・中・北の三者会議を実現させたのは、あくまで北朝鮮問題を自らの手のうちに止めておこうという意図の現われであり、“北朝鮮” という難問を抱える米・中の妥協の産物といっていい。


“権力集中”ねらう安倍

北朝鮮の核実険は発足早々の安倍政権にとっては“追い風”となった。小泉前総理のポピュリズム政治に比べて“安部政治”の本質は、より明確に祖父岸信介流の政治を範とする“強権的政治”である。安倍総理のねらいは従来の官僚依存とコンセンサス政治に対して、首相官邸の権限と影響力を強化し、アメリカのホワイトハウスのような機能を持たせることだという。(ニューズウイーク11月8日号)安倍総理は5人の政策補佐官を設け、安全保障、経済、教育、北朝鮮、広報を担当させることにした。その中で特に注目されているのは小池百合子補佐官が担当する“国家安全保障”問題といわれている。アメリカの「国家安全保障会議」(NSC)を範とするもので安倍総理がねらう「大統領」制の中核となるものである。

権力集中をねらう安倍総理の政治体制と政治手法は明らかに日本の“民主政治”を“変革”しようとするものである。


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか。

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