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主要閣僚の対米批判

「あけぼの」2007年5月号より)酒井新二


久間章生防衛相と麻生太郎外相という安倍内閣の主要閣僚が相いで対米批判の言葉を発して内外を驚かせた。久間防衛相は1月24日、アメリカ主導のイラク侵攻にについて「核兵器がさもあるかのような状態で踏み切ったのだと思うが、その判断はまちがっていた」(1月24日、日本記者クラブ講演)「私は米国に『あんまり偉そうに言ってくれるな、日本のことは日本に任せてくれ』と言っている」(長崎県諫早での講演)と発言。麻生外相は2月3日、京都の講演で「平和構想を考えるとき、ドンバチ(戦争)が終わった後が大変だというのがイラくで分かった。ラムズフェルド(前米国防長官)が、ぱっと(開戦を)やったけど、占領した後のオペレーション(作戦)としては非常に幼稚であって、これがなかなかうまくいかなかったから、今もめている」などと麻生節を語った。

この2人の主要閣僚の歯に衣きせぬ対米発言は、その真意をめぐって政府内で静かな波紋を広げた。チェイニー米副大統領の来日を控えているときだっただけに「なぜこのタイミングで米政権を批判するのか」という疑問が、政府関係者の中でも起きた。小泉前首相が9.11以降ブツシュ大統領を手放しで支持し、違憲のおそれある自衛隊のイラク派遣を断行するなど向米一辺倒だっただけに、久間・麻生両閣僚の言動は安倍内閣の対米姿勢の変化かという疑問を起させたのである。


“ニューズウイーク誌”の驚き

ニューズウイーク誌(2月21日号)のコラムでマイケル・グリーン氏(米戦略国際問題研究所・日本部長)も、この2閣僚の発言には驚きをかくしていない。「これほどあからさまな対米発言は、イギリスやオーストラリアの外相や防衛相が口にすることはまず考えられない」とあきれた口ぶりだ。「いったい何が起きているのか。安倍内閣はフランスや韓国のようにアメリカと距離をおくつもりなのか。それともブッシュ政権を見限り、次期大統領に合わせて軌道修正しているのだろうか」と真意をはかりかねている。しかしおそらくいちばん驚いたのは安倍総理かもしれない。安倍総理にはそのような骨のある対米姿勢など考えられもしない。2閣僚の発言は、それぞれの思惑があったかもしれないが、少なくとも安倍総理は関知せず、したがって結果的に安倍総理の閣僚掌握力の不足を露呈したことになる。

米政府は当然ながら“久間発言”に対して不快感を示し、日本政府に釈明を求めたと言われる。しかし日本側から明確な説明もできるはずもないし、参院選をひかえて米国側も深追いする気もあるまい。しかしマイケル・グリーン氏が指摘するように、日本担当といわれたアーミテージ国務副長官のポストは空席のままであり、またヒル国務次官補は北朝鮮にかかりきりのありさまだから「米国側が日本情勢に関心をもつきっかけ」になったのかもしれない。チェイニー副大統領が急きょ日本・アジア・太平洋訪問を実施したのはその思わぬ効果であった。しかしマイケル・グリーン氏がいうように両閣僚の発言は「日米同盟の不調和音」を示すものであり、日米関係の今後に尾を引くことになるかもしれない。


「朝日」の社説

2月7日の朝日新聞の社説は、「この2閣僚の発言の趣旨に違和感はない。日本に限らず世界の多くの人々の思いとも重なるのではないか」と評価している。「米国でもブッシュ政権のイラク戦争への批判が高まっている。昨秋の中間選挙で与党の共和党が上下両院で少数党に転落したのはその表れだ」とし「昨年12月にはベーカー元国務長官ら超党派のグループが部隊の徹退や外交努力の強化を柱とする跋本的な政策転換を提言した。これに反して、増派の方針を打ち出した大統領への支持率は、就任以来最低の水準に落ち込んでいる」。欧州はより明確にイラク戦争反対を打ち出してきた。しかし日本側は前記のとおり、小泉政権が典型的に示したように、ほとんど“盲目的”にブッシュ政策を支持し「内戦状態のイラクの現状から目を背け続けてきた」のである。「朝日」の社説は、「久間・麻生発言」を前向きに評価しているが、その後の状態は「社説」とは逆に「ニューウズウィーク」誌の評論の結論に近づいている。

久間防衛相は来日したチェイニー副大統領とは顔を合わすこともなかった。安倍・チェィニーは何事もなかったかのように“日米協力”を確認し合った。久間防衛相は次の内閣改造で辞任することは確実であり、麻生外相がどう処遇されるか注目されている。久間・麻生発言はどんな意図のもとになされたのであろうか。


“集団的自衛権”について

チェイニー米副大統領は小泉前首相が訪米したとき、「日本はそろそろ集団的自衛権の行使を宣明してはどうか」と水を向けた。しかし小泉前首相は「まだそこまではいっていない」と断った。しかし安倍総理はいま“集団的自衛権”に極めて積局的な姿勢を示している。それが安倍政権の、唯一そして最後の切り札ででもあるかのようなこだわりをみせている。

“安倍政治”の本質は、祖父岸信介の体質を受けつぐ“新右翼(ネオライト)”にある。それだけが安倍政治の存在を際立たせるものである。「美しい国」などというキャッチコピーの中身は“核武装に関する議論を容易にする発言”「自衛隊法改正」による「自衛軍」の創設、「防衛省」への昇格などであり……これらは単なる名称変更ではない。「集団的自衛権」行使とは、「武力攻撃を受けた国家が自国と密接な関係にある場合共同防衛にあたる権利」を指す。この太字の部分が“拡大解釈”ないし“政治的解釈”の可能性をもつため、従来否定されてきた。しかし “集団的自衛権”は「所有するが行使せず」という解釈は極めてあいまいであり、かつ法的には歯止めのきかないものである。憲法第9条においては“集団的自衛権”の行使は禁止されているとしなければつじつまは合わないのである。


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか。

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