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歴史の改ざん許すな ––– 沖縄戦集団自決 –––

「あけぼの」2007年6月号より)酒井新二

「軍の強要」をあいまい化


文部科学省は3月30日に2006年度の教科書検定で、地理歴史・公民で沖縄戦の「集団自決を日本軍に強いられた」という表現を「誤解の恐れがある」として削除するよう求めた。イラク戦争や靖国参拝などでも政府の見解に沿う記述を求める傾向が小泉内閣以来続いてきたが、安倍内閣でもこれを踏襲することが明らかとなった。“戦後の歴史”について従来の解釈を変える動きがこれからも続きそうである。


“検定”は非民主的

元来“教科書検定”自体、学問や歴史研究について国家権力が介入するのは基本的に非民主的行為である教科書検定とは民間の教科書会社が申請した本を、検定基準に基づいて文科省が合否の判定をする仕組みである。これは憲法の保障する“思想の自由”を侵害するものであり、本質的に近代的民主国家の基本を損なうものといわなければならない。日本国憲法第19条、思想・良心の自由、同第21条2項の検閲の禁止、同第23条学問の自由保障などに反するものであり、戦前旧憲法下で公然と行われた権力の学問・思想への介入の“残滓(ざんし)”として、一掃されねばならないものである。それは戦後日本国民がかちとった学問・思想の自由への公然たる挑戦である。

今度、文科省が教科書検定の判断基準を変えた理由は
 ①「軍の命令があった」という資料とそれを否定する資料の双方がある
 ②慶良間諸島で自決を命じたといわれてきた元軍人やその遺族が、
  2005年に名誉棄損を訴えて訴訟を起している
 ③近年の研究は命令の有無より住民の住民の精神状況が重視されている ---などとしている。


文科省の見解

このような文科省の見解は要するに沖縄住民の“集団自決”には「軍の強制」はなかったということを言いたいのである。教科書調査官は「沖縄戦の実態が誤解される恐れがある。日本軍の命令があったように読める表現は削除せよ」と主張する。

「沖縄の実態」とは何か。何がどう“誤解” されるというのか。今まで多くの証言によって「集団自決」が存在したこと、第2にそれは日本軍によって「追い込まれ」「強いられた」ものもあった、という戦後60年余り認められてきた沖縄戦の悲劇の実態を、否定しようという政治的意図に基づくものと言わねばならない。教科書調査官の言う「誤解される恐れ」とはどんな事実に基づくものか。それは自決を命じたとされてきた元守備隊長らが、2005年に「命令していない」と訴訟を起したことだけである。その訴訟自体の内容を文科省はどこまで詳細に検討したと言うのか。それも明らかにされないまま、今まで国民の前に明示されてきた沖縄住民の生々しい体験をも、文科省は「誤解を与える、あいまいなもの」として退けようとしているのである。旧日本軍の“慰安婦”についても安倍政権は軍との関わりを極力少なく見せようとしている。

安倍首相は“沖縄の集団自決”や“慰安婦問題”という歴史上の暗部を極力“ミニマイズ”(矮小化)して「美しい国へ」(安倍首相の著書の表題)の姿を際立てようとしているのである。しかし事実を事実として認めようとしないことは、国民に事実を隠し、国民の眼から歴史的事実を覆うものとして、歴史家はもとより、せいじかも決して、してはならないことなのである。安倍首相や文科省の姿勢は日本の政治そのものへの冒涜(ぼうとく)である。


沖縄戦の実態

私は沖縄戦の直前に海軍の一員として那覇を視察した。また米軍上陸の前日にも、慶良間諸島に数100個の機雷を敷設する作戦に参加した。しかしその機雷も直ちに米海軍によって掃海されてしまった。沖縄戦の実態は日米戦争の最終段階として最も苛烈なものであり、かつ悲劇的、絶望的なものであった。

今の若い政治家にいまさら日米戦争の実態を知れといっても無理なことであろう。しかし少なくとも現在日本政治をリードする人びとは、あの戦争がなぜ起きたか、当時の指導者がどのような思想をもち、どのように行動したか、敗戦時はどのように考え、どう行動したか、などについて十分知っておかなければならない。

今度の歴史教科書の改ざんは、歴史的事実を事実として見ることを拒否するものであり、安倍首相世代の政治家の精神の弱体化を示すものである。「集団自決を軍が命令したかどうかは明らかとは言えない」などということは、その命令の主体が「日本軍」であることを否定するかあいまいにする意図をもつものであり、現在の“国家主義的風潮”をしめすものと言うべきであろう。


検定を止めるべき

われわれは「歴史」を厳正に受けとめることを回避してはならない。「歴史」を政治的にねじ曲げることは国民に対する大きな裏切り行為であることを知らなければならない。もし文科省による教科書検定が日本歴史の厳密な継承を妨げるなら、むしろ “検定” そのものを止めるべきであろう。本来『歴史」にその時々の政府(文科省)が介入することは誤りであり、歴史教科書の制作は民間の自由な作業と国民の批判にゆだねるべきである。

3月31日の毎日新聞の社説が指摘するように、「いっそうのこと高校では検定を廃止し、教材を学校・教師・生徒に任せることを検討してみてはどうだろうか」という提案を真剣に考えてみる必要があるだろう。「読売」「産経」の社説は文科省の見解を支持し、朝・毎と全面的に対立している。しかし「読売」「産経」はその根拠を明らかにしていない。その「読売」でさえ大田昌秀参院議員(元沖縄県知事)の次の見解を載せざるを得なかった。「沖縄戦の実情を全く理解していない。住民の集団自決が軍の強制でないとするなら、いかなる証拠から証明できるのか明らかにすべきだ。教科書であいまいな記述がされれば、後世に沖縄戦の実相が誤って伝えられることになる」


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか。

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