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“霞ケ関“に潜む闇

「あけぼの」2008年1月号より)酒井新二


防衛省の守屋武昌前事務次官が軍需専門商社「山田洋行」から長年にわたり接待を受けていたという最近にない大型の国家公務員によるスキャンダルが起き、征・官界に大きな波紋を巻き起こしている。

最近の霞ケ関の官界では次官の任期はおおむね2年ぐらいだが、守屋氏は四年間以上という異常な長期間事務次官をつとめ“防衛庁(今年1月省に昇格)の天皇”と称され、最近の防衛省を実質的に支配してきた人物である。

防衛省は海上自衛隊補給鑑による米補給艦への給油量の誤りを隠蔽していたこと(2003年2月)が表面化して問題になった。こんどの守屋疑惑はその背後にあった真の根源が明るみに出たという意味で、今後のなりゆきがきわめて注目されるのである。


守屋事件の実態

守屋氏の絶頂期は小泉政権時代で、その後は徐々にその威力を減退させていたといわれるが、安倍内閣の2007年8月には当時の小池百合子防衛相との確執が表面化し、結局小池防衛相は辞任し、守屋次官も8月末で退任した。

“政治とカネ”の問題は絶えることのない政界の“マグマ”であり、それが間歇(かんけつ)的に噴出することによって、ある意味で“自己浄化”作用を行っているともいえる。しかし民主政下の自己浄化にも限界があり、それを超えれば“民主政”そのものが崩壊のである。

民主政下の最大・最終の浄化力は“世論”だが、それを制度的に担保するのが内閣・国会であり、そして“新聞”を中心とするマスメディアである。

しかしこんどの守屋問題の実態はこれらの抑止力をはるかに超えるものであり、一防衛官僚の法律違反(自衛隊員倫理法違反)というだけでなく、国民を無視・愚弄する破廉恥な行動だといわなければならない。ればならない。

守屋氏は家族ぐるみで12年間で300回を超えるゴルフ接待を受けていたという。しかしこの事件は守屋氏だけに止まず、守屋氏のこのような非常識な行動を長年にわたって許してきた歴代の防衛大臣をはじめ内閣や与党首脳の網紀の弛緩を責めなければならない。守屋事件は現在の政・官界特に権力を長年にわたって保持してきた“政治中枢”の腐敗と無関係ではない。

このような腐敗は60年の長期にわたって実質的に政権交代が行われないという現在の日本の民主政治の“異常”を示すものである。


インド洋の油補給

インド洋における日本の自衛艦による米艦への“油補給”が対米軍事協力か否か問題になっている。当初福田総理も石破防衛相も「20万ガロンではイラク作戦用とはいえない」などと強弁していたが、「20万ガロン」とは防衛当局の間違いで、実態は「80万ガロン」であることが明らかになった。石破防衛相は「すべては対テロ作戦(OEF)に使った」との声明を出したが、野党側は「空母キティホークの燃料に混ざればイラク作戦に使われていないとはいえない」と反論し“給油疑惑”は結局米側によっても明確ににできなかった。いずれにしても米ノイラク作戦に対する日本側の協力は否定できず「テロ対策特措法」の期限切れ(11月1日)に備えて政府が急いで出した「補給支援特措法案」の成立も、守屋氏の国会証人喚問のため間に合わないという後手後手の展開となってしまった。

しかし政府が極力米の対イラク作戦への直接協力を否定しようとするのは「日米安保条約」が実質的に“日米軍事同盟”であるとするかぎり、おかしな話である。政府が米空母キティホークへの直接給油を否定したからといって、米のイラク作戦への日本の協力を否定することにはならない。

今政府が「日米安保」の影を極力うすめようとするのは、国民に対して真実を隠そうとするものといわなければならない。


“日米安保”のなりたち

1951年米国務長官特使ジョン・フォスター・ダレスが来日し、占領下の日本に対し強引に、共産圏を除いたいわゆる“単独講和”を締結させ同時に「日米安全保障条約」を調印させたことは、日本の独立国としての主体性を無視した不当な行為であった。しかも「日米安保条約」は「日本防衛について米は特定の公約を行わず、他方“極東のすべての地域”における紛争に対処するため、日本を基地として米軍ないしは補給物資を配備・動員する権限を米に与える」という極めて片務的な条約であっただけでなく、当時の米にとって最大の脅威であったソ連に対する“防壁”の役割を日本に求めたものであった。


藤山・ダレス交渉

このようなアンバランスな「日米安保」を是正するため、1958年から藤山外相とダレス国務長官の協議で“日米対等化”のための交渉が始められた。新条約では米の日本防衛義務は明記されることになったが、在日米軍の対外作戦行動や核の持ち込みについては、日米両国の“協議事項”とされ、同意するか否かは「日本側が自主的」に決定する権利をもつと説明された。(藤山外相)しかし「日本の自主性」という表現は極めてあいまいで“軍事同盟方式”の固定化を前提としたものであり、“協議”は事実上、形式的なものとなったといわなければならない。


持ち込みの“密約”

1960年5月、岸内閣による「安保改定」の強行採決をめぐって、学生を中心とした空前の大デモが展開され、樺美智子さんの死亡事件が起きた。予定されたアイゼンハワー大統領の訪日は中止となり、岸内閣は総辞職に追い込まれた。しかしあとで判明したが、このとき岸内閣は核兵器の持込の“密約”を米側と交わしていたのであった。国民は岸の“非核三原則”遵守の宣言にまんまとだまされたのであった。


福田・小沢会談

福田・小沢両党々首は10月30日と11月2日の2度にわたって電撃的に会談し、すわ“大連立”かと“霞ケ関”を驚かせた。民主党幹部会の反対で、福田総理の大きなかけは外れたが、小沢代表にとってもマイナスの結果になったといわねばならない。党首会談を断り通してきたベテランの小沢代表が、なぜ福田総理の誘いに乗ったのか。「上手の手から水がもれた」としか言いようがない。


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか

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