home>「今日」を読む>「日米安保」を脱する道

「今日」を読む

バックナンバー

「日米安保」を脱する道

「あけぼの」2008年3月号より)酒井新二


前回「霞ケ関に潜む闇」の最後のパラグラフで私は10月30日と11月2日にわたる福田首相と小沢一郎民主党との会談に戦後の日本国家を規定してきた基本的法は憲法(昭和21年11月3日)、平和条約(昭和27年4月28日)、日米安保条約(昭和35年6月23日)の3つといっていい。特に憲法と日米安保条約は「戦後日本」の骨組みを成すものである。この2つは一方では相矛盾するものであり、他方、日本の国家としての「理想」と「現実」を示す不可分のものでもある。

日本は戦後60年、この2つの基本法の枠内で動いてきたことは間違いない。

しかし憲法については発足早々から、それが理想に過ぎるとの理由から「改正」の動きが絶えない。一方の「日米安保」は“60年安保”の大波をかぶって以来は、ほとんど“反安保”の動きは姿を消してしまった。「日米安保」は「憲法」とともに日本政治上の“所与”として、その基底に根を張っている。そのことは“日本の政治”がアメリカの強い影響の下にあることを示している。

日本が真に独立を果たすためには、なんらかの意味で「日米安保」からの離脱を考えなければならない。それなしには“戦後”の完全な終罵はないといわなければならないだろう。それほど“戦後政治”は「日米安保」と密接に結びついており、アメリカの“日本支配”とも切り離せないのである。新しい年を迎えて、現在の日本を捕らえている「日米安保」のしがらみを脱する道を考えてみよう。
 

佐藤・ニクソン密約

本来の意味における“日本の独立”は「日米安保」からの独立によって始まるといっていい。戦後60年、日本は「日米安保」の温室の中で、ぬくぬくと惰眠をむさぼってきた。「日米安保」の枠の外に出ることは独立国家として、世界の厳しい風にさらされることである。それを避けて通るわけにはいかない。日本がこの60年歩んできた道は経済的には多くの困難を伴うものであったが、政治的には比較的平坦なものであったというべきだろう。しかしもし真の独立を目指すなら改めて明治維新以来の、あるいはそれ以上の政治的困難を覚悟しなければならない。

日本の“戦後政治”にはいくつかの曲がり角があった。そのひとつとして「佐藤・ニクソン密約」の問題がある。

1969年11月19日、沖縄の施政権が返還されて、当時の佐藤栄作首相は「戦後は終わった」と誇らしげに言明した。当時の沖縄は冷戦さ中の米軍の重要な軍事的拠点であり、米国にとっては軍事的だけではなく政治的にも極めて重要な意味をもっていた。日本にとって沖縄の“完全復帰”は確かに戦後史におけるひとつの大きなターニングポイントであった。この“沖縄返還”をめぐる日米の政治折衝の中核をなしたものが佐藤首相とニクソン米大統領の交渉であったことは間違いない。なぜならそれは当時のソ連・中国・北朝鮮という“共産圏”との政治的・軍事的対立に直接関わる問題であり、アジアにおける米国の核戦略と密接に結び着いていたからである。
 

“密約”の内容

「佐藤・ニクソン会談」は核の温存をねらう米国と“脱核”を期待する日本世論とのせめぎあい合いであった。それは戦後最大の外交接衝のひとつであり、その中核は「佐藤・ニクソン共同声明に関する合意議事録」といわれる密約文書である。その内容は次のようなものといわれる。

米国大統領=沖縄の施政権が実際に日本へ返還されるときまでに、沖縄からすべての核兵器を撤去する。

“極めて重大な緊急事態”が生じた際には、米国政府は日本政府と“事前協議”を行った上で核兵器を沖縄へ再び持ち込むこと及び核兵器をもった航空機、艦船がが沖縄を通過する権利が認められることを必要とする。さらに米国政府は沖縄に現存する核兵器の貯蔵地すなわち嘉手納、那覇、辺野古並びにナイキ・ハーキュリー基地を何時でも試用できる状態に維持しておき“極めて重大な緊急事態”が生じたときには活用できることを必要とする。

日本国首相=日本政府は、大統領が述べた前記の“極めて重大な緊急事態”が生じた際における米政府の必要を理解して、「かかる事前協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの必要を満たす」「大統領と首相は、この合意議事録を両者の間でのみ最大の注意をもって極秘裏に取り扱うべきものとする、ということに合意した。1969年11月21日、ワシントンDCにて」(両氏のイニシアル R・N E・S)

ここでいわれている「日本政府の政策」とは、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」といういわゆる「非核三原則」を意味する。それにもかかわらず「佐藤・ニクソン密約」は沖縄=米国の意向によって沖縄に核兵器が持ち込まれる可能性を示しているといわなければならない。
 

「周辺事態法」の意味

1999年5月28日、「有事の際」に対応するための「周辺事態法」が成立した。1960年に現行安保条約が締結されてから約40年後である。

これによって米国は、「周辺有事」の際に米軍の補完的役割を日本に果たさせることが可能になった。「有事」とは、「戦時」より広い意味であり、日本本土が「平時」でも沖縄には「有事」が恒常的に存在していることになる。そのような想定は結局米軍が通常的に沖縄に駐留することを正当化するためのものである。しかし沖縄と「日本本土」を同時に「有事」と「平時」に分けることはおかしい。それは米軍を沖縄に常住させるための条件づくりとみられても仕方がないだろう。


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか

▲ページのトップへ