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“政界再編”の胎動

「あけぼの」2008年5月号より)酒井新二


守屋武昌防衛省前次官の辞任以後、防衛省は次々と“事件”に見舞われている。これは単なる偶然ではなく、長年にわたる問題の正体が姿を現したというべきだろう。全長165m、排水量1万㌧イージス艦「あたご」が全長わずか12mの延縄(はえなわ)漁船「清徳丸」と正面衝突して、漁船はまっ二つに割れ、漁師の父子と共に1,000m余りの海底に沈んだ。父子の消息はいまだ不明である。

 

「あたご」事件

最高級の近代的装備をもつ軍艦がほとんど回避行動をとることもなく、漁船を破壊しただけでなく、十分な救助活動をした形跡もないということは考えられないことである。私は戦争中、旧海軍に勤務した経験をもつが、1万トン級巡洋艦といえば帝国海軍が世界に誇った最も機動力のある軍艦であった。それを超えるイージス艦が、戦闘航海中ならいざしらず、漁船その他多くが航行する海域で、しかも細心の注意を求められる入港間近に、このような事故を起こしたことは、自衛艦側が全面的責任を問われても仕方のないことである。このような事故を起こした海上自衛隊ないし防衛省そのものの体質が問われなければならない。

旧海軍の駆逐艦と現在のイージス艦の性能を厳密に比較することは私にはできないが、戦時中という状況の違いはあっても、艦長以下乗組員の緊張感は現在のそれとは比べものにならないものであったように思われる。こんどの事故の直前の状況については「当直の交代時間帯と重なってしまった」「衝突12分前に見張り員が漁船の灯火を確認したのに報告を怠った」「レーダー員が漁船を接近中のものと認識していなかった」「事故直前まで自動操舵のままだった」などの原因が伝えられている。もしそれらが事実とすれば、現在の海上自衛隊には深刻な体質的欠陥があると考えざるをえない。

さらに事故当時、艦長は休養(睡眠)していたといわれるが、もし事実ならこれも今の海上自衛隊の緊張感の不足を象徴するものといわれてもしかたがない。

 

二転三転の説明

こんどの事故は防衛省発表によれば
  ①「あたご」が「清徳丸」の緑色灯火を発見したのが午前4時5分、
  ②「あたご」が自動操舵から手動に切り替え、全速後進したのが午前4時6分、
   午前4時7分「あたご」が「清徳丸」に衝突。

ところが、2月20日になると防衛省は「あたご」は「清徳丸」に「12分前」に気づいたと訂正発表した。当初1分前に“衝突回避”の“後進”の舵を切ったとしていたのを、翌日になって「12分前」と訂正したのは「あたご」側の“不注意”の言い逃れと見えられてもしかたがない。福田首相が22日の閣僚懇談会で、「防衛省の組織を根本から見直していかねばならない」と石破防衛相に指示したのは、全面的に船渡健艦長と「あたご」側のミスを認めたからにほかならない。石破防衛相への連絡が、衝突から1時間33分もたってからであったのは、いかに石破防衛相の現場掌握が弱体であるかを示している。

また背景に「背広組」と「制服組」との対立、非協力があることはいつもいわれることだが、そのことは裏を返せば「シビリアン・コントロール」(文民統制)の欠如、すなわち政治(防衛大臣を中心とした内閣の掌握力)の弱体を示すものであろう。またこんどの事故が起きても「陸上自衛隊」は他人事のようにそっぽを向いていることも全く理解しかねることである。

 

頻発する不祥事

「冷戦が終わって“ソ連の脅威”がなくなってから、自衛隊の不祥事が続発している」ということは専門家の間ではよく指摘されることである。徳に「海上自衛隊員」が関わる事件は、昨年来頻発しているにもかかわらず、自衛隊は“組織防衛”すなわち自らの立場を守ることに汲々(きゅうきゅう)としているばかりである。しかも内閣も防衛大臣もそれをつき崩す力をもっていないのが実情である。それは「政治」が「軍事」をコントロールできていないことを示しているといっていい。

事故当日「けが人を運ぶ」として「あたご」の航海長を極秘にヘリで市ヶ谷の防衛省に選び、石破防衛相、増田好平事務次官、斉藤隆統合幕僚長、吉川栄治海上幕僚長の4人と約30分間密談したといわれる。ここで防衛省幹部が口裏を合わせたことは間違いない。このような防衛省の秘密体質と姑息な態度は、防衛省が自らを防衛するともりでやっていることが、実は国民に事実をかくすことになって墓穴を掘っていることに気づいていないことを示しているのである。こんどの清徳丸事件は単なる事故ではなく、現在の「日本政治」の重大な欠陥を露呈したものと受けとめなければならない。

 

「小泉・細川会談」説

福田首相の自民党内における立場は、いま極めて微妙なものとなっているように見える。自民・民主両党幹部の横断的会合がすでにポスト福田をめぐって露骨な動きを表面化させているからである。1月下旬には細川護煕元首相が小泉純一郎元首相と会談したとの説まで伝えられている。(「週刊朝日」2月29日号)それによると、1月下旬に細川・小泉会談があり、そこで中選挙制度復活で一致したという。小沢民主党代表と福田首相が“大連立”を話し合って民主党内の反対でつぶれ、小沢氏は一時代表を辞める動きまであったことは、まだ記憶に新しい。政界ではすでに次の解散・総選挙に向けて動き出していることは間違いない。

“永田町”は、“政界再編”に向かって、急激に動き出したといっていい。


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか

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