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宗教は麻薬ではない

「あけぼの」2008年6月号より)酒井新二


 

軽率な高村発言

8月にオリンピックの開催をひかえた中国で、重大な事件が次々と発生して、世界の注目を浴びている。チベット問題、毒入り餃子問題などが相ついで起き、各国首脳がオリンピック開会式不出席を公言したり、有名選手の不参加表明があった。中国の胡錦涛主席は固唾をのんでなりゆきを注視していたとき、高村外相はあっさり「北京オリンピックはボイコットしない」と言明した。本人は“中国応援”の勇気を示したものと内心誇っていたのかもしれないが、外務大臣としては軽率のそしりを免れない。“胡錦涛来日”のための“リップサービス”のつもりだろうが国民の中に多くの疑問があることに対して、重要閣僚のひとりとして、とるべき態度としてせいぜい沈黙を守るのが最大の好意の表明というべきだろう。最近訪中して胡錦涛国家主席と会談したばかりの小沢一郎民主党代表さえ、黙して語らなかった。

正しいことには積極的に支援し、間違ったことに対しては明確に質し、アドバイスする、せいぜい沈黙を守るのが真の友人の態度であろう。古来“宋襄之仁(そうじょうのじん)”という諺(ことわざ)がある。「間違った同情はかえって身を誤る」という意味である。わが身に有害であるばかりでなく相手にも禍(わざわい)を及ぼす。一国の外交姿勢としてはこのような配慮が大事であろう。

 

チベット問題の反響

餃子中毒事件は幸いにして大事にいたらずにすんだが、チベット問題はそうはいかなかった。それは中国・チベット自治区を訪れていた外国人旅行者の撮ったフィルムが世界各国で訪英されて大きな反響を呼んだことがきっかけになった。3月27日の「産経」によれば、フランスのサルコジ大統領は「あらゆる選択肢を持っている」と語り、ベルギーのレインデルス副首相兼財務相は「オリンピックでは最悪の事態も排除しない」と開会式不参加もありうると表明した。(3月26日)ドイルの与党キリスト教民主同盟のポレンツ外交委員長も「ボイコットを排除すべきでない」と強調、(3月25日)シュタインマイヤー外相は、かつてのヒットラー政権下で行われたベルリン・オリンピック(1936年)に関連して「テレビで華やかなオリンピックを訪英し、裏で実は争乱がつづいたままという事態は通用しない」と中国を痛烈に批判した。

イギリスはオリンピック・ボイコットには同調しないと表明したが、チャールズ皇太子は開会式に出席しない方針だという。カトリックの教皇ベネディクト16世も3月23日の復活祭のミサの説教で「人間性に対する災いは、しばしば無視され、時に故意に隠される」と語って暗に中国を批判した。

 

中国の“ダライ・ラマ”批判

福田政府は4月1日になって、中国側が希望していた皇族の開会式出席を見送る方針を固めた。

天皇・皇后両陛下は平成4年(1992年)天安門事件で国際的に孤立していた中国を訪問されて、中国側から感謝された経緯がある。しかし政府の動きは外交問題になると常に右翼左べんする。こんどもアメリカ政府がなかなか態度を明らかにしないため、態度を決めかねていた。結局、両陛下の開会式欠席でお茶を濁すことになったとみられる。このような政府の姿勢は両陛下にとってはまことに失礼なものというべきだろう。いずれにしても政府は皇室を外交の具に使ったことになる。

当の中国はダライ・ラマ14世を「分離主義者」として激しく批判し“直接対話”を拒否している。温家宝中国首相は「ダライ集団が標榜(ひょうぼう)してきた『独立を追求せず。平和的対話を求める』との方針は、偽善にみちたうそであることが、この事件で証明された」(3月18日)と語った。

3月中旬にチベット自治区で騒乱が起きてから世界各地から中国に対し、ダライ・ラマ14世との直接対話を求める意見が相ついでいる。しかし、中国政府は温家宝発言にみられるように強硬姿勢を崩さない。このような中国首脳の態度の背景には、中国共産党政権の“独裁政治”に対してダライ・ラマ問題は、“蟻の一穴”になるとの恐怖感があるのだろう。少数異民族の自由・独立を求める世界的動きに神経質にならざるをえないのは、“独裁制”そのものがいまや確固たつ基盤を持ちえぬ時代にきていることの認識ひそんでいることは間違いない。

 

共産政権と宗教

毛沢東の強い独裁政治がその死とともに基盤が大きくゆらぎ始めたにもかかわらず江沢民はひたすら毛沢東の影を追うばかりで、新しい中国の道を開く努力をしなかった。胡錦涛政権は、中国を世界的に認知させるための役割を果たそうとしながらも、いぜん“チベット問題”に対する歴史的解決を図る実力を欠いているといわざるをえない。「チベット地域に宗教優位の自治を認めれば、ほかの少数民族に波及するだけでなく、宗教の影響が高まり、共産党独裁の政治体制そのものに影響をえることを、中国は一番恐れている」(3月27日、「産経」)ということは確かであろう。チベット問題は単なる“政治問題”ではなく、より深く“宗教問題”であるところに問題の困難さ、深刻さがある。中国の共産党政権は“信仰の自由”を認めるところまで成熟していないのである。

共産党政権の最後の牙城は“共産党独裁”即ち“宗教的信仰の自由”の否定にあることが、チベット問題=ダライ・ラマ問題によってクローズ・アップされた。このことは中国政権だけでなく、すべての“独裁政権”にとって共通の、避けて通れない問題なのである。民主主義政治の根底にある“信仰の自由”という問題が、ダライ・ラマ問題を契機として世界の人びとに改めてつきつけられたことは間違いない。

「マルクス・レーニン」以来「宗教は麻薬」という考え方が、思想としての“唯物主義”、政治体制としての“共産政治”の中に牢固(ろうこ)として存在していることを知らねばならない。“信仰者”としてもいま「宗教は麻薬ではない」ことを明らかにする責任があるだろう。


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか

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