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「新求道共同体」問題 –––対立する司教団と「バチカン」

「あけぼの」2008年10月号より)酒井新二


「新求道期間の道=新求道共同体」と称する高松教区立の「国際宣教神学院」と日本司教団との対立は、バチカン当局をまき込んだかたちで日本の教会を大きくゆさぶっている。

カトリック新聞が7月6日号、7月13日号の2週にわたって大きく報道したことで、にわかに教会内外の注目を浴びることとなった。「新求道共同体」と称するカトリック教会内の特殊グループは、1964年スペイン人キコ・アルグエリョによって創設されたもので、正規の教会秩序とは別の組織として隠然たる影響力をもってきた。

 

日本司教団の態度

「新共同体」は日本では高松教区を中心として活動してきたが、日本の司教団は「日本の教会」の統一性を乱すものとして6月30日付でその閉鎖を決めた。ところが、5月末になって「バチカン」(教皇庁)から横槍が入り、「神学院問題」は日本司教団と「バチカン」当局との対立という思わぬ方向に進展してしまった。

「バチカン」による神学院閉鎖の一時中断について、高松教区の司教総代理デシデリオ・カンバラ神父は、「日本の司教団、教皇庁大使みんなで決めたことが無視された」と「バチカン」の出方に驚いている。

しかしこの「新求道共同体」問題は日本の教会に限らず、世界のカトリック教会にとっても、根の深い問題であり、いわばルター以来の“第2の宗教改革”問題といった様相をもってきた。

ただ16世紀の「宗教改革」と異なるのは、ルターの改革が「教会」からの分裂というかたちをとったのに対し、現在の「新共同体」は教会内部に居座るかたちをとっているため、信徒にとってはその正体をとらえにくいという極めて厄介なものなのである。

「新共同体」側は、教皇ヨハネ・パウロ2世が「新共同体」を「支持し、保護した」ことをあげているが、司教団側は「新共同体」が司教団の権威を認めず、独自の活動や献金を信徒に要求することを非難している。

 

あいまいな「バチカン」

このよう状況の中で教皇庁は、6月26日付の書簡で、「日本司教協議会」に対し、「高松教区立国際宣教神学院は教区立神学院として閉鎖される」という歯切れの悪い回答を伝えてきた。問題の「神学院」は教区立としては閉鎖されるが、ローマの同名の神学院に統合されるかたちで建物も人員もすべてがそのまま存続されるというももである。しかもこの措置は、「教皇の同神学院に寄せる“温情”の表れであり、将来も同神学院が日本での福音宣教に最も適切な仕方で貢献することを確信している」というものであった。

これは実質的解決にはほど遠く、日本司教団にとっては強い不満を残すものであることは否定できない。「バチカン」当局は改めて「神学院」に対する支持と日本司教団に対する“不満”を表明したものと受けとれるからである。

岡田大司教(東京教区長・日本司教協議会会長)は、前記の教皇書簡に対して、「教皇様のご配慮、ご指導に感謝いたします」としながらも「いくつかの課題が残ります」と不満をかくさない。「バチカン」の見解は日本の司教団の思惑とは一致しなかったわけであり、実質的解決は今後もち超されるかたちとなった。

 

「NICE」京都会議

1987年11月京都で開かれた第1回福音宣教推進全国会議(いわゆる「NICE・1」)は第2バチカン公会議(1962年10月11日~1965年12月8日)から25年後にその日本版として開かれた。

それは日本のカトリック教会にとって画期的なものであり、その特徴は司教・司祭・修道者・信徒が同一平面に立ち福音宣教の使命に対して共同責任を負うというものであった。

聖職者と一般信徒の立場の平等性が第2バチカン公会議以上に強要された画期的なものであった。いわゆる“ヒエラルキー”というカトリック教会特有の聖職者優先主義の身分的位階制が理念的に否定されたものであった。しかしこの歴史的変化が聖職者と信徒自身にどれだけ理解されていたかは疑問である。永年にわたって司教・神父にひたすら従順であることが善しとされてきた一般信徒にとっては、身分の平等性を真に理解することは容易ではなかったのである。

「開かれた教会づくり」とか「ともに喜びをもって生きよう」などという「NICE・1」のキャッチフレーズが画期的なものであればあるほど、聖職者にとっても一般信徒にとっても、その真の理解を得たとはいえなかった。「NICE」が2度しか続かなかったことがそれを示している。「NICE」を推進した人びとの情熱はなぜ不完全燃焼に終わったのであろうか。

 

「日本の教会」の衰退

「NICE」は1993年10月21日から長崎で開かれた第2回会議で幕を閉じた。第2回目で目立ったことは、信徒の参加は増えているのに対し、司祭、修道者の数は大幅に減っていることである。第2回のテーマは、“家族”だったが、司祭・修道者にとって、それがなじみにくいものであったのだろうか。いずれにしても「NICE」そのものの退潮は明らかにであり、「NICE」は2回で消えたのである。それとともに、聖職者・信徒の身分的平等性の思想もうすれていった。また「司教協議会」(中央協議会)の役割は“補完的”なものとされ「日本の教会」という思想も消えていったのである。第2バチカン公会議が打ち出した「エキュメニズム」(キリスト教の信仰一致運動)や「インカルチュレーション」(文化への適応)という思想もうすれていった。

日本の司教団が心配する「新共同体」の存在とその活動も、結局は「第2バチカン公会議」や「NICE」運動の衰退、ひいては「日本の教会」の衰退と深く関わっていることを認識すべきであろう。


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか

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