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激動の日本政局  –––中川事件の異常さ

「あけぼの」2009年5月号より) 酒井新二


最近の中川昭一前財務相兼金融担当相の辞任劇は、小泉元総理の言をまつまでもなく、国民すべてがただあきれるばかりであった。

テレビ映像の恐ろしさには違いないが、あのような醜態を天下にさらしたことは前代未聞である。しかもなお辞任を2009年度予案の衆院通過後と表明し、与野党からの強い批判を浴びて、“即時辞任”と言い直すという恥の上塗りを重ねたことは、中川氏の精神状態がいかに異常であるかを示したのである。自民党の尾辻秀久参院議員会長が、飲酒したかどうかより、世界にあのような映像をさらしたことが問題だ」と言ったのも当然であろう。

中川氏はしかもその直後に、バチカン博物館で柵を越えてモニュメントに触れ、ブザーが鳴って注意を受けるという“不始末”を重ねている。中川氏の精神状態が一時的なものではないことは示している。

このような状態は単に中川氏の問題ではなく、当然麻生政権そのものに致命的打撃を与えた。にもかかわらず当初、日本の新聞の報道は比較的甘かった。中川氏の言動になれた結果だという言い訳は通らない。日本のあるテレビの解説者が「なぜ会見場にいた記者は怒って質問しなかったのか」と指摘したと言うが、それが当たり前である。日ごろ中川氏と身近でつき合っている記者たちが、この状態に鈍感だったとすれば、中川氏に同行した記者団も同罪だと言われてもしかたがないだろう。中川氏の事件は麻生政権にとって手痛い打撃を与えただけでなく、次の総選挙における自民党の敗北をますます予見させるものとなった、と言うべきだろう。

 

低支持率に苦しむ

麻生内閣に対する各紙の世論調査は回を追うごとに厳しいものになっている。最近は各政権の末期の支持率に近づきつつある。10%の2ケタ台を切るのも時間の問題であろう。

連立政権の一方の政党である公明党の某幹部は「政策の良し悪しの判断よりも、政策を遂行する主体の信頼が失われている」と指摘したそうだが、連立の相手からも、もはや信用されていないのだ。安倍、福田と二代にわたって公明党は政権党として薄氷の思いを続けている。“三度目の正直”と期待した麻生政権のていたらくを見ては言葉もないだろう。しかし政権の末期というものはこういうものである。“民主主義政治”の効用は、“世論の動向”を察する政権党の決断にかかっているのである。

自民・公明両党の連立政権は一日も早く国民の意思をきくため解散・総選挙を断行すべきであり、それが“民主政治”の最小限の条件だろう。小泉政権以後、安倍、福田の二つの政権が総選挙の洗礼を受けないまま、麻生政権にバトン・タッチをしたということは、戦後政治においても前例を見ないことである。麻生総理は就任早々の解散を考えていたが、中川財務相(当時)や大島国対委員長の反対でそれを思い止まったと言う。麻生総理が初志を貫けなかったことが、麻生政権の命運を定めたと言うことができる。政治は時に決断であり、それができるかどうか、その勇気と冷静さがあるかどうかが問われるのである。麻生首相になく、小泉元首相にあったのは、そのような指導力と一貫性だったかもしれない。

 

小選挙区制の問題

身内に対してさえ“刺客”を送り込むという非情さは、いままでの自民党リーダーの中にはなかったものである。このような手段を可能にしたものは「小選挙区制」という制度が大きな意味をもっている。以前のような中選挙区制であれば、このような威力は発揮できなかったろう。その意味で現在の小選挙区制は総理・総裁にとってひとつの武器になっているわけである。中選挙区の場合は自らの党の中でも、また野党にとっても複数当選というゆとりがあった。その意味で各政党の票が配分されるわけであるが、それだけ多党制の根拠になりえても、政権党の力を根拠づけることは必ずしも容易ではなかった。小選挙区制への移行は、このような中選挙区制のあいまいさを乗り越え、政権党の優位を決定的にするねらいをもっていた。

しかし日本の政権をいぜんとして中選挙区時代の実態を温存し、二大政党制に近付く気配を見せていない。これでは小選挙区制は十分に機能しないのである。そればかりか、自民党内の“派閥”は、いぜんとして残っていて、党の一体性を実現する上で大きな障害になっている。自民党がこのような“派閥”を解消できないかぎり、真の近代的政党は完成しないのである。

その見通しは現状では悲観的である。自民党が政権を失って、野党の寒風にさらされ、真の再生を果たさないかぎり、その解決のめどはたたないだろう。自民党にとってこの派閥問題の解決こそが真の党近代化の大きな課題なのである。

 

“吉田ワンマン”の孫

麻生太郎氏は、敗戦後の第三代総理となった吉田茂氏の孫であることはよく知られている。吉田氏は“ワンマン総理”として、その傲岸さで有名だが、戦後東久邇宮(ひがしくにのみや)、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)両内閣についで占領下三人目の総理に就任、外務官僚出身の前歴を生かしてマッカーサーGHQ(総司令部)最高司令官とわたり合い、占領から独立への険しい時代を担った。吉田氏の夫人雪子はカトリックの洗礼を受けており、一家を教会に導いた人である。

雪子の父・牧野伸顕(のぶあき)は明治の元勲大久保利通の二男である、政治家一族と言っていい。吉田氏が英国大使時代に知り合ったのが白洲次郎氏であり、今またにわかに脚光を浴びている。私は吉田氏ともまた白洲氏とも記者時代にたびたび接したことがあるので、これらの人びとの時代が歴史となりつつあるのを見て、感慨一入(ひとしお)である。


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか

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