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“第四の権力”としてのプレス

「あけぼの」2009年9月号より) 酒井新二


“新聞”(プレス)は、“第四の権力”といわれる。それは近代民主主義制度を構成する議会・政府・裁判所の三権に対抗し補完する“第四の権力”であり、現代民主主義における不可欠の柱でもある。

米国の著名なジャーナリスト「ニューヨーク・タイムズ」の元社長・ジェームス・レストンが若いときに書いた『新聞の砲列』(The Artillery the Press)の冒頭で彼は次のように述べている。

「私の主張を短くいうと、世界の運命を左右する実力を持つ米国政府、特に大統領個人のためになるのは『イエスマン』の新聞ではなく、その反対、すなわち“砲列の如く”かまびすしく、しかも正確に発射される批判と事実の活発な砲撃なのだ。これは新聞が国家的あるいは愛国的でなくなるということさえ意味する。なぜなら今日の激動に満ちた世界における私たちジャーナリストの使命は、ひとつの陣営の応援団と化さず、できるだけ多くの人びとに、この目まぐるしく厳しい世界の現実を認識してもらうことなのだから」

 

米国防省の秘密報告

また同紙による「米国防総省ベトナム戦争秘密報告」のスクープは、当時米国だけでなく、世界的に大きな波紋を投げかけた。米司法長官が命じた公表の一時停止に対してNYタイムズ社説は次のように反論している。

「NYタイムズは法律の許すぎりぎりの限度まで司法長官が強制した憲法違反の“事前規制”に対して戦い続けるだろう」「その理由は①国民に知らせることが米国民の利益であり②報道しないことは米憲法修正第一条にあるわれわれの責任の回避と義務の放棄になると信じた③米国民も議員もほとんど真実を伝えられていなかった政策決定の歴史を米国民に提供したかった」

このようなNYタイムズの姿勢は、まさに「報道の自由の神髄である真実の公開・解明への努力」を示す態度というべきものである。

 

上杉隆氏の新聞批判

上杉隆氏(フリーランス・ジャーナリスト、元鳩山邦夫前法相秘書)は、最近(2008年8月)出した著作『ジャーナリズム崩壊』で、現在の日本のジャーナリズムに対して厳しい批判を展開している。

「現在の日本のメディアは権力をチェックするという最低限の機能を放棄している。日本の記者は個人としては極めて優秀だが、集団になると一変する。極めて閉鎖的・偏狭な集団に変貌し、横並びの“護送船団方式”を採用するようになる、それが“記者クラブ”である。しかしその耐用年数も限界に近づいている。すでに日本にジャーナリズムの崩壊は始まっている」と断じている。

たしかに「記者クラブ」は日本の新聞界独特のものであり、自己防衛的性格を持っていることは否定できない。しかしそれは発生的に見れば、戦後草創期の弱体だった“新聞”が、“政治”に対して考え出したひとつの対抗手段であった。その本質はいまでも変わらない。

上杉氏が指摘すつように「インターネットなど新しいメディアの台頭」によって「記者クラブ」方式が厳しい状況に立たされていることは否定できないのが現実である。しかしそれを直ちに「ジャーナリズムの崩壊」に結びつけることは正しくない。

日本の「新聞ジャーナリズム」は現在も将来も「日本のジャーナリズム」の中核であることは間違いない。それは今後も多くの試練に立ち向かわなければならないが、それを克服する知恵と努力が求められているのである。

 

麻生政権の行き詰まり

麻生首相が目指した自民党役員人事も不発に終わり、閣僚の兼務を解消する二閣僚の補充でお茶を濁すありさまで首相はいよいよ追い詰められた。東京都議選(7月12日)直後の解散、8月上旬投開票を考えていた首相の求心力が急速に失われ党内からは総裁選のくり上げを求める“麻生おろし”の動きが公然と行われる状況となった。しかし、麻生氏をおろしてだれを総裁にすえるか、その見通しもはっきしせずにこのような動きが起きるのは、自民党が政権党としての責任を放棄するものだといわれてもしかたあるまい。

自民党は小泉政権のあと、安倍、福田、麻生とすでに三代にわたって総選挙の洗礼を受けていない。このような状況は“民主政治”の本道を大きく外れた“政治の退廃”というべきだろう。それは“国民の政治”ではなく、自民党だけの“党内政治”にすぎない。

このような状況が起きるのは、小選挙区制のもっとも悪い、“政治の矮(わい)小化”の面が出ているものであり、国民としてはもう一度、選挙制度を改めることを考える時期にきているのではないだろうか。

以前の中選挙区制のときは同一政党でも複数の当選者が出たため、与野党の差がつきにくいというのが制度改正の理由であった。しかし現行制度は純粋の小選挙区制ではなく、比例代表を加味したため、小選挙区制の特徴が十分発揮されず、政界は二大政党に統合されなかった。多党分立の様相を保っているのが現状である。

日本の国政は、各候補者自らの選挙区にばかり顔を向けた議員によって行われる結果となっている。それでは、一国を基盤とし世界を見すえた政治を行う政治家を生むことは、極めて困難といわざるをえない。

古賀誠・選対委員長が東国原宮崎県知事をわざわざ訪問し、衆院選挙出馬を要請しながら、結局取りやめざるをえない、という醜態を演じたのも、現在の自民党の末期的症状を示すものといっていい。

鳩山由紀夫民主党代表の政治資金虚偽記載問題が表面化して、民主党の出鼻を挫(くじ)く結果となった。国民の立場に立てば「民主党よ、お前もか」という心境になる。国民としては日本の民主政治そのものに対して失望せざるをえないことになりかねない。それは日本の政治にとって、もっとも恐るべきことである。


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか

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