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転機に立つ日本政治

「あけぼの」2009年10月号より) 酒井新二


自民党は前の参院選に大敗したにもかかわらず、当時の麻生幹事長によって安倍晋三政権は続投した。この麻生の政治的誤算と自らの個人的野心へのこだわりが、自民党政治の幕引きを早めているといえる。それは自民党政権が長く続き過ぎたということでもあるが、同時に野党の弱体化がそれを助長したことも否定できない。

 

保守合同

自民党は1955年11月、当時の民主党と自民党のいわゆる“保守合同”によって成立した。“保守合同”を促進したものは、その直前の1955年10月13日に実現した左右両社会党(155名)の統一であった。保守側はこれに危機感を深め、当時の民主党の幹部三木武吉(ぶきち)、岸信介と自由党の大野伴睦(ばんぼく)、石井光次郎らの話し合いによってようやく実現したものである。衆院299名、参院118名という巨大勢力であった。

しかし総裁人事が難航し、結局総裁をおかず鳩山一郎、緒方竹虎、三木武吉、大野伴睦を“代行委員”として協議を続けた。その結果、総理大臣と党総裁を分離するという、いわゆる“総・総分離”という妥協案が成立し、総理には鳩山、総裁には緒方が就くことになった。ところが1956年1月28日、自民党総裁の最有力候補だった緒方竹虎が急死し、その結果鳩山一郎が自民党初代総裁に選ばれたのである。

鳩山に課せられた政策課題は「憲法改正、再軍備、小選挙区制、日ソ国交回復」だったが、鳩山は“憲法改正”を除きすべてを実現した。鳩山をついだ石橋湛山(たんざん)は1956年12月18日、日本の「国連加盟」を果たしたが、“憲法改正”は、その後の自民党内閣によっても懸案として、いまだに実現の見通しは立っていない。

 

「日米安保」の基本的変化

「日米安保条約」は1951年9月8日、サンフランシスコで調印、1961年に改定され、現在に至っている。しかし、この日米関係の基本は、すでに2005年に日米間で署名された「日米同盟・未来のための変革と再編」という文書によってとってかわられているという。(孫崎亨 まござきうける『日米同盟の正体』)

日米安保条約は第6条で同条約の対象を「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」と規定している。ところが「未来のための変革と再編」では日米は「世界における課題に効果的に対処するうえで重要な役割を果たしている」とされている。その意味は、日米安保の対象が「極東」から「世界」に拡大されたことであると孫崎氏は指摘している。

このことは「日米安保条約」が実質的に改定されたことを意味する。この文書は、当時の日本の外務大臣、防衛庁長官と米国の国務長官、国防長官の署名によって成立し、国会の承認事項となっていないから、一般の国民はほとんど気づかぬうちに、「日米安保条約」は「変革と再編」にとってかわられているわけだる。かつての国会であれば、早速野党の激しい攻撃にさらされたであろう。しかし現在では国会の論議にもマスコミの論点にもならぬうちに、このような重大な外交問題が通り抜けている。

 

核密約問題(注1)

1950年代、アイゼンハワー政権の国務長官だったジョン・フォスター・ダレスが日米関係について「我々の好きな場所に我々の好きなだけの期間、我々の好きなだけの軍隊を駐留させる権利を手に入れたること」が日米関係における米側の課題だと側近に語ったという。

これは太平洋戦争における勝者の考え方を赤裸々に表明したものである。占領時代の米国側の考えはまさにこのようなものであり、それは現在も実質的にはあまり変わっていないかもしれない。

「核密約問題」はこのような日米関係の本質を露呈したものというべきだろう。同時にこの半世紀近く日本政府は国民に対して、“二枚舌”を使い続けてきた。このような日本政府の態度は米国側にとっても、まことに非民主的なものと映っていたに違いない。米国側にとって日本の民主政治というものの実態がいかに低いものであるかをしめしたものといわねばならない。佐藤栄作元首相がノーベル平和賞を得たことはスウェーデン当局に対しても大きな“非礼”を犯したことになる。

いまだに日本の外交当局はこの政治的、外交的“偽り”を国民に対して謝罪することをためらっている。外交当局にとどまらず、歴代の政府は口を閉ざして語ろうとしない。真の責任者は外交当局であるより、代々の“政府”そのものなのである。日本の政府と外交当局はこの50年間、国民に対して重大な嘘をつき続けてきたことになる。その責任は限りなく深く大きい。この問題を政府は国民に対していつ果たそうとするのであろうか。

 

「集団的自由権」

最近の報道(7月30日「産経新聞」)によれば、政府の「安全保障と防衛力に関する懇談会」がまとめた報告書の原案で、従来歴代の政府が認めてこなかった「集団的自衛権」の行使を認めるよう勧告した。

「集団的自衛権」とは「国連憲章第51条で認められた。ある国が武力攻撃を受けた場合、これと密接な関係にある他国がその武力攻撃に協同して反撃する権利」をいう。歴代の日本政府は内閣法制局の解釈に従って、これを認めてこなかった。この方針は戦後の日本政府の一貫した憲法9条の解釈に立つものである。歴代の政府はこの解釈に基づいて外国への武器輸出を禁止する「武器輸出三原則」を堅持してきた。しかし報告書が採用されれば、
①公海上で並走中の米軍艦船が攻撃された際の反撃
②米軍を狙った弾道ミサイルの迎撃
③米軍が攻撃されたとき、国際平和維持活動(PKO)に基づいて反撃するため武器を使用する
④共通の目的で活動する多国籍軍への後方支援などが可能になる。
これらのことは「平和憲法」の基本を変更する重大な政治問題であることを忘れてはならない。

 

注1:
「核密約問題」とは、1960年(昭和35年)、岸内閣による日米安保改訂のときに「核兵器を搭載した米艦船の寄港・通過は事前協議の対象としないと秘密合意していた」ことを、今年の6月末に村田良平外務事務次官が明らかにしたこと。


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか

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