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「日米安保」の“密約”問題

「あけぼの」2009年11月号より) 酒井新二


今年の6月末、日本の主要マスメディアは、いわゆる「核持ち込み密約」について大々的に報道した。1960年の日米安保改定のとき、当時の岸信介内閣の藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日大使の間で「核持ち込みは日米間の“事前協議”の対象とはしない」と双方が了解し、このことは公表しないこととしたいのである。

 

非核原則違反

日米安保条約では、日米両政府は在日米軍基地の運用について米軍が“装備の重要な変更”をする場合は、事前に協議することになっていた。しかし核兵器を搭載した米艦船の寄港や領海通過また米軍機の飛来については“事前協議”の対象から外すことを“密約”したわけである。

なぜならこの“密約”は日本政府が世界に明らかにしていた、いわゆる“非核三原則”(「核を持たず、作らず、持ち込ませず」)に反することをなるからである。

ところが米国側は、公文書作成から25年たてば公開する慣例があり、1999年、この“密約”についても全文がいったん公表された。しかし日本側の要求によって“密約”の部分は再び非公開となったいきさつがある。すでに国際的には明らかになっているにもかかわらず、日本政府は国民に対して、かたくなに外交的事実を隠し続けようとしている。中曾根元外相も河村元官房長官も相変わらず記者会見で“密約”の存在を否定している。

 

村田・東郷両氏の証言

ところが6月末、村田良平元外務事務次官が前任次官から“密約”の存在を文書で引き継いでいたことを明らかにした。さらに東郷和彦元外務省条約局長・元オランダ大使も「朝日新聞」(8月15日)への寄稿で“密約”のいきさつを明らかにしたのである。

東郷氏はその中で「2001年ごろ、当時の外務省幹部が、関連文書すべての破棄を指示したという。本当ならば、言葉もない」と嘆いている。

もしこの破棄が事実だとすれば由々しいことであり、総選挙後の国会において厳しく追及されねばならないだろう。

 

外務委員長も確認

自民党の河野太郎前衆議院外務委員長は7月13日の記者会見で、「村田良平元外務次官ら複数の関係者から話を聞いた結果として、明確に具体的に密約があったと聞いた。米国で公表された公文書あライシャワー元駐日大使の発言とも符号する」(「毎日新聞」7月14日付)と指摘した。

 

加わった“極東条項”

60年の「日米安保改定」の条約的意味は、改定以前の「日米安保条約」では、その発動の条件が
 ①外部からの武力攻撃
 ②日本国内の大規模な内乱・騒じょうを制圧するため
であった。それが改定後は「日本防衛」のほかに「極東の安全」を加えたのである。これは「日本の安全」だけでなく「極東の平和・安全」に対する脅威(いわゆる「極東条項」)に対しても、日米双方が協議して対処することになった。ただし、それには日米双方が憲法上の規定・手続」を踏んだうえで行うとされている。それだけ米国の日本防衛の「義務」は弱まると解釈されている。しかもその「義務」は「日本の施政下」にある地域に限られ、事実上日本の支配が及んでいない「北方領土」(歯舞、択捉、国後、色丹)や韓国の軍隊が支配している「竹島」は日米共同軍事行動の対象とはならない。また日中間で領有権が争われている「尖閣諸島」についても「日米安保」の発動について米国の態度は明確でない。

 

若泉敬氏の暴露

1969年11月19日、日米は沖縄の施政権返還について合意に達した。その際佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン米大統領の間で「核持ち込み」は日米の事前協議の対象としないという“密約”が交わされたということを、当時日本側の“密使”としてこの“密約”の作成に関わった若泉敬氏がそれを明らかにしている。(若泉『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』)

それによれば米国が沖縄を日本に返還する際、日本側が求めていた「核兵器の撤去」について米軍当局は「東アジアにおける抑止能力の低下」を理由に「核の沖縄配備の継続と基地の自由使用権の確保が不可欠」と主張した。結局日米双方の相容れない要求の間で「佐藤・ニクソン共同声明」が作成され、沖縄に核兵器が事実上維持されることになったのである。

 

非核政策に抜け道

「沖縄返還」に関する「佐藤・ニクソン共同声明」の第8項によれば「米は日本政府の政策に反しないように沖縄の返還を実施する」ことを明らかにした。「日本政府の政策」はいわゆる「非核三原則」のことであり、三原則の第3「持ち込ませず」に対する“抜け道”として、ここでも“密約”が作成されたのである。

その「密約」は「(極東において)極めて重大な緊急事態が生じた際」米政府は日本政府と事前協議を行った上で「核兵器を再び持ち込む」こと、また核を搭載した艦船・航空機の通過する権利が認められることを必要とする。具体的には、嘉手納、那覇、辺野古とナイキ・ハーキュリーズ基地をいつでも使用できる状態に維持し、緊急事態に活用する。このような米国側の必要に対し、核兵器の“持ち込み”が事前協議の対象とされるとき、日本政府は「遅滞なくそれらの必要を満たす」と約束したのである。

これは「事前協議」の形は残しつつも事実上、その“持ち込み”について“白紙委任”したことを意味している。

 

公然化した“密約”

その後の事態は、このような「密約」を不要にする事態が進んだ。佐藤首相は共同声明発表(1969年11月21日)直後のプレスクラプでの演説で「韓国と台湾の平和と安定は日本の安全にとって『重大』かつ『重要』である」と名言している。この発言の意味は米軍が「極東地域」で「防衛義務」を遂行する際、日本としては全面的に協力することを意味する。それは日本の安全にとって重大な事態と日本政府が判断すれば“事前協議”においても核の持ち込みを認めることを意味すると解される。

この佐藤言明はいわゆる“核の密約”を公然化することによって事実上「密約」を不要としたものである。佐藤言明は核の沖縄持ち込みを公然化しただけでなく「日米安保」の範囲を日本周辺のアジア地域に拡大するものであった。

総選挙後の新政権がこの核密約問題にどう対処するかを、われわれは注視しなければならない。


著者紹介:
酒井 新二(さかい しんじ)
共同通信社社長を経て同社顧問。1986年、フランス国家功労勲章オフィシエ章受章。著書『カトリシズムと現代』『カトリックが拓く日本の道』『日本の進路・キリスト者の選択』ほか

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