homeこんなとこ行った!>聖学院大学 政治経済学科 秋の講演会2006

こんなとこ行った!

バックナンバー

ザ聖学院大学 政治経済学科 秋の講演会2006

2006/12/07

聖学院大学政治経済学科には、「時代を考える」という講座があります。その中の一つの「授業として、12月6日(水)11:00から、講師に東京大学大学院情報学環教授の姜尚中氏を迎え講義が行われました。学生の他に、一般にも参加が呼びかけられ、行ってきました。

聖学院大学チャペル外観 チャペルの中
聖学院大学チャペル外観 修チャペルの中

教室となった聖学院大学チャペルには、1階部分には学生が、2階の会衆席には、一般の人々が座りました。まず、最初に、この講義を主催する聖学院大学の先生から、講義の説明がありました。姜尚中氏は、今盛んに言われるようになった「愛国心」についてどう考えたらいいか、いろいろの角度からお話くださいました。

今回の講義の「時代を考える」は、一つの学科だけでなく、いくつかの学科のために設けられたものだそうです。専門の違う複数の教授たちが、設けた講義で、総合的に考えようということだそうです。なかなかよい企画だなとおもいました。頭のレベルだけでなく、今、自分たちが生きている社会と結びついているのも、実践的でいいですよね。

姜氏の講義の前に、「時代を考える」という講座についての説明がありました。この講座には、4つの柱があり、今の時代を4つの面から見ていこうということです。
   1. 二極化している社会、格差社会
   2. このような格差社会が出てきた背景となる構造社会
   3. ナショナリズムの時代
   4. 「9.11以後」という時代

この4つの柱が関わりあって今の社会が構成されています。その中から、今回は、「ナショナリズムの時代」という視点で、姜尚中氏にお願いしたということです。姜尚中氏のお話から、少しご紹介します。

姜尚中氏

金大中、拉致事件

個人も社会も、10年も経つと、時代や人は変わったと感じる。20年、30年も前は、なおさらである。1973年8月、東京パレスホテルから、金大中氏が拉致された事件があった。それから30年経った2年前、東京大学安田講堂に、金大中氏を迎えて講演会を開くことができた。感無量だった。「K.T.」という映画がある。「キル・ターゲット」つまり、「ターゲットを殺せ!」で、金大中氏の拉致事件を、実行犯から見たものである。考えることの多い映画だった。この映画では、自衛隊にアンダーグラウンドの組織があり、その組織の自衛官がこの事件に関わったという想定で描かれている。これが真実かどうかはわからない。

自衛隊というのは、日陰の存在である。自衛隊が日陰であればあるほど、日本は平和だという考えがあるが、「K.T.」の主人公の自衛官は、2重の意味で日陰となる自分の存在を受け入れることができなかった。

日本の韓国化

国家の地肌が見えてくるときがある。今の日本は、1970年代の韓国を見ているようで、めまいを覚える。年間3万人以上の自殺者を出しているというのは、このことの現れである。追い込まれて、この社会から出て行こうとする人々を生む社会。アッパーとボトムの格差社会である、地域格差もある。東京の一極集中化が進むことは、絶対的貧困層を生み、見捨てられた人々が、地方や地域の片隅に追いやられている。

今年の春、年金生活者の介護保険料が上がった。このことは、国家が国民をケアしない社会になるということである。1980年代後半からグロバリゼーションが始まったが、このことが、本来国家がしなければならないことが、私的なことに移行していくということである。

「愛国」とは

「“愛国”を引き受け、我が身のことと考え、それを突き抜けていく」ことが大切だと思う。パティリオティズムということばの「パトリア」とは、国のことではない、故郷への愛というような意味である。「出身はどちらか?」と尋ねるときに使う「お国はどちらですか?」というときの「国」である。

明治国家は、政治的に非常によくできていた。今、地方が大きく変わっているが、これは、明治国家で行われた“廃藩置県”に匹敵するような大きなことである。地域社会が根源から変わろうとしている。

以前、吉野山で有名な奈良県吉野に講演に行ったことがある。「私たちは、ここに何世代も生きてきた。しかし、今、私たちは消えていこうとしている。いったい、私たちはどういう存在なのか」と人々は悩み、世界に開かれた地域として残ろうとしている。こういう動きは、東京だけを見ていると見えないことである。

「国を愛するとはどういうことか……」ということで、『愛国の作法』という本を書いた。「パトリアを愛すること」と、「国家を愛すること」は相容れないこともある。あらがうこともあるのである。私は韓国にパトリアの思いはない。パトリアは熊本にある。しかし、ナショナリズムは韓国を選んだ。

北朝鮮との関係

(日本は北朝鮮と国交がないが)国が存在するなら、無視することはできない。国が存在するなら、交渉しなければならない。これが“政治”である。国があるのにないかのようにするというのは、あり得ない。

朝鮮戦争のとき、わずか2年余りの間で300万人の人が亡くなった。南北分断では1,000万人が離散家族となった。今、米朝の直接対話が必要である。

そして、日本。植民地で、支配した国と植民地となった国が、その関係が終わっても、50年以上国交がないというのは異常である。資本主義に代わるオータナティブは、今のところない。北朝鮮が自由を味わい、資本主義が入ったら、変わってくるだろう。しかし、だからといって、韓国との併合に向かうかどうかはわからない。

まとめ

“愛国”を受けて立とう。しかし、いずれ「愛国」は路地裏に消えていき、「北東アジア」という考えになるだろう。戦争は避けられると思う。戦争以外の方法で歩むだろう。

今、山は八合目まで登った。しかし、上は暗雲が立ちこめて、先は見えない。中国とのパートナーシップが、米国の中に深まっている。米中は、戦力パートナーとなる。米中中心の六カ国の枠組みができる。

自衛隊は、「日本の領空、領海を守る」ことから、国際協力に移行している。日米安全保障を、国際協力に変えようとしている。防衛庁の「庁」から「省」への昇格は、自衛隊の性格を変えようとしているのである。「日本は、何をもって国際協力をするのか」が大切だ。「愛国心」を語りながら、「愛」について語っている人はいないようだ。だれを愛するのか。「国を愛する」は、感情の問題ではなく意思の問題である。

 

1時間30分間のお話は、いろいろな問題を取り上げながら、あっという間に終わってしまいました。安倍政権になっても引き続いている日本の危うい状態が、どういうところに導かれていくのか不安です。しかし、政府の動きを読み解いていくというのは、難しいことです。姜氏のような学者や、評論家、ジャーナリストの方々のお話がないと、なかなかわかりません。弱い立場の人がますます角に追いやられていく社会、権力者の思いが通っていき、市民の平和が脅かされていくような社会にならないようにするために何ができるのか自問しています。

▲ページのトップへ