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どうしてシスターに?

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シスター マリア・アスンタ

背中を押し、前から引いてくださる方

花


一人の修道女との出会い、そのことばが、わたしの一生の旅を決めるきっかけになった。

修道院で若い女性の集まりがあるので行きましょうと、一諸に洗礼を受けた友だちから誘われた。そんな所に行くのはイヤというわたしに、一度だけでいいからというので、ついて行った。ところがその友だちはそれきり行かず、わたしは、毎月せっせと通うことになってしまった。その時の「水がぶどう酒に変わる」という聖書の説明の新鮮さに心ひかれて、また行きたくなってしまったのだ。

そんなある日の集まりで「前進」という映画を見せてもらった。それは、修道会の活動の紹介だった。世界の各地を宣教して歩くシスターの姿に感動したわたしは、「きょうは、ありがとうございました。シスターたちのお仕事ステキですね」と帰りの挨拶をしたら、「あなたも一諸に働きませんか」と言われた。シスターたちと一諸に働く……。これは、どういうことか。修道院に入りませんか、ということなのか。わたしは、修道院の門を出て、考え、考え、坂道をくだり、バスの停留所まで歩いた。

それからというもの、修道院に入る気など少しもなかったのに、このことばが気になってしかたがなかった。会社に勤め、同僚や友人たちとの旅行やクラブ活動、街をぶらついたり、おしゃべりしたり、静かに読書をしたり、平凡な日々だが、何の不足もなく楽しく送っていた。けれど、いいかげんの年齢になっていたにもかかわらず、人生の目的について漠然としか考えていなかったことに気づいた。

まもなくして黙想会があり参加した。そこで、消極的生き方は悪を避けること、善をおこなうのは積極的生き方という、あたりまえのことが心に響き、善をおこなう生活、人々のために生きる生き方について教えられた。洗礼を受けてまもなかったため、深いことは理解できなかったが、人々のために何かしなくては、何かしたいという望みを感じた。これが神さまからの招きだったのだろう。

この生き方をしたいと思いはじめたら、それまでしてきたさまざまなこと、友、物、時間を放棄する気になれたのは不思議だ。姉が、そんな所に行ったら、好きな山歩きや旅ができなくなるのよ、といちばん辛いことをいって脅かしたが、わたしの旅の方向はもう定まったのだと、そのことばは耳にはいらなかった。両親の反対を押し切って始めた旅は、わたしの背中を押し、前から引いてくださる方の力を感じつつ、今も、感謝のうちに続いている。


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