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どうしてシスターに?

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シスター ドメニカ 花城京子

心をノックする音

シスター花城


1975年に、わたしの故郷沖縄で国際海洋博が開かれた。聖パウロ女子修道会のシスター方やSさんと、バチカン館の案内と宿舎での生活をともにさせていただいた。

わたしにとって親元を離れての初めての生活であり、24時間シスター方と一緒の生活も初めてのことだった。

毎日、大勢のお客さまをお迎えし、ご案内するということは、簡単そうに見えて、実際はハードな仕事だった。その中で、いつも笑顔で生き生きと、働いているシスターを見ながら、「どうしてあんなふうにできるのかしら」と不思議に思った。この単純な疑問が、シスターの存在と生き方にわたしの目を向けさせるきっかけとなった。

その年の11月、修道会の管区長様と東京修道院院長様が来沖された。わたしもお2人にご挨拶させていただいたときに、思い切って「修道院で働かせていただけませんか」とお願いしたところ、管区長様はあっさりと、その場で許可してくださった。

6カ月にわたった海洋博が終了した3日後、わたしはシスターと一緒に上京した。そして、その当時、新宿・伊勢丹デパートの6階にあったセント・ポール・コーナーでシスターと一緒に働くようになった。

東京で生活し、さらにたくさんのシスター方と出会い、その生き方に触れていくうちに、わたしは、自分の心をノックする音に気づくようになった。そして、その音がわたしの心の中でだんだん大きくなっていった。

神さまからのプロポーズ、それはシスターたちとの出会い、関わり、その生き方を通して示された。その招きに対して、わたしが「はい」と答えたのは、上京して半年たった夏の日のことだった。

入会の許可を得るために沖縄に帰ったわたしは、8日目にやっと父の許可を得ることができた。翌朝、わたしは父に「行ってまいります」と挨拶したが、父は黙って横を向いたままだった。父が泣いているのがわかって、わたしもつらかった。

この同じ日に、弟夫婦に赤ちゃんが生まれた。両親にとって初孫の誕生だった。わたしを送り出した後の2人の寂しさを、神さまが慰めてくださったような気がして、単なる偶然とは思えなかった。神の計らいの中に生かされていることを実感した恵みの日だった。


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