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どうしてシスターに?

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シスター マリア・ヴィオラ 伊集院秀子

神のなさることは 時にかなって美しい

シスター伊集院


2000年前イエス様は、ご自分のみもとに弟子たちを呼ばれたとき、ただひと言「わたしについて来なさい。」(マタイ 4.19)と言われました。今、わたしの召命をふり返ってみますと、ただこのひと言に尽きると思います。

わたしの故郷は、奄美大島です。終戦後間もなく、カプチン会の神父様方が、奄美にいらっしゃいました。そして、奄美での宣教活動が再開されたのです。町や村には次々と教会が建てられ、人々の心は、信仰の喜びにあふれていました。
 昭和28年12月25日には、奄美大島が日本復帰というクリスマスプレゼントをいただきました。

昭和29年、2人のシスターがはじめて奄美大島にいらっしゃいました。「今度の神父様は、女の神父様だよ」と、人々の口から口へ噂が流れました。わたしの教会にも召命募集にいらっしゃったとの連絡が入りました。その時わたしは、はじめてシスターの姿を見たのです。シスターと、いろいろ話し合いました。そして、修道会入会の決心をしました。入会の準備のためには、1週間しかありませんでした。

わたしを呼ばれた主について行きたい。絶対ついて行く。それ以外、何も考えられませんでした。村の人々は、「お母さんが手放さないでしょう」などなど噂で持ちきりでした。父から「シスターの生活は、並大抵の事ではないよ」と静かに諭されましたが、わたしの意志は変わりませんでした。1週間で準備をして修道院に飛び込んだのです。今、ここにいる自分が不思議でなりません。

主の招きに応える原動力としていつも繰り返し、味わっているみ言葉があります。「神のなさることはみな、その時にかなって美しい、神はまた人の心に永遠を思うおもいを授けてくださる。それでも、なお人は神のなさる業を初めから終わりまで見極めることはできない」(コヘレト 3.11)。


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