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どうしてシスターに?

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シスター マリア・アグネス 栗原志づ江

神さまのめぐみに導かれて

シスター栗原


頂いた信仰の恵みを思いおこすたびに、神様の無償の恵みがわたしをいつも導いてくだ さっていたことがわかる。

“宗教は嫌い”と友だちに公言していたにもかかわらず、 教会の門をたたき、修道生活についてだれかに勧められた時も、“修道生活はわたしの希望の生活ではない”と心底思っていた。友だちが黙想会に行くので一緒に行かないかと誘われた時も、半分は好奇心から参加した。黙想会がどんなものかも全く知らず、 神父様の話が終われば、あとは参加した人たちと一緒に何かをするのだろう、ぐらいしか理解していなかった。

あるとき、若者の集いがあった。その時に聞いた話がずーっと心に残り、気になっていた。わたしたちに対する神様のあわれみ深さ、赦し(ゆるし)と愛の姿に心が打たれた。わたしの人生は何か……と問い始め、今まで膨らませていた薔薇色の生活の夢がだんだんと色あせてきた。それでも青春を謳歌(おうか)していた。

ある日、女子パウロ会のシスターが人生にはいろいろな道がある、例えば結婚の道、奉仕の道、またこれと思うものに全てをかける道もあると話してくれた。もしかしたらわたしは……とふと思ったが、そんなはずはない、第一、わたしは修道生活には向いていないし……。心の奥で神様の声を聴こうとしている自分に気づきながらも絶えず耳をふさいでいた。

しかし、なんとなく落ちつかず、神父様に相談すると“祈りながら導きを願いなさい”と言われた。祈りのうちに自分の生活を振り返った時、神様の恵みがいろいろな方法でわたしを導いていたのを知った。と同時に、永遠に続く神様のあわれみこそわたしが仕える道だと見えてきた。いろいろな困難を前に決心がぐらつきそうになることもあったが、いま決心しなければ“ときの恵み”がなくなると思い、入会を決意をした。

 

神様は、弱さそのもののわたしを弟子の群れに加えてくださり、ご自分の業に日々わたしを招いてくださっている。この神様の不思議な働きに感謝しながら、毎日喜びのうちに生活している。


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