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どうしてシスターに?

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シスター マリア・ベルナデッタ 草川紀吉子

神は人をとおして招かれる

チューリップ


ある日突然、「自分の十字架をとって私に従いなさい」と胸につきささるような声が聞こえた。全身の血の気がひき、暗闇にほうりこまれたように感じた。何度も「そんなはずはない。自分には修道生活などふさわしくない」と心の中でうち消していた。しかし、そうすればするだけ、もっと大きな波紋となって自分に返ってきた。

お湯が沸騰して、その力で蓋を持ち上げるように、蓋を取らずにはいられない状態になってきた。このような考えが入ってきたのはいつごろだったのだろうか・・・。

友人が修道院に入り、休暇のために帰省した。何人かのグループでその友人と散歩に出かけた時、この人が入会の動機について話しているのを聞きながら、小さな発見をした。「私の中にも同じようなものがある!」と。宝物でもみつけたように私はそれを大切にしまっておいた。

そういえばあの時・・・と、いろんな人、種々のことをとおして、神が話しかけられていたことを思い出した。「神は昔、いろいろな預言者によってかたられたが・・・」という聖書のことばのように。

その一つは、やはり、知人をとおして私の名前がパウロ会の一人のシスターに、「この人は修道生活を考えているのではないかしら」ということで紹介されていたことである。そして、毎月美しいカードが送られてきた。「きれいなカードだな」と目はとおしても、別に自分とかかわりをつくろうともしなかった。それが一年ぐらい続いたが、こちらの反応がないので、それっきりとだえてしまった。

また、ある神学生が「修道生活を考えてみないか」と私に言ってくれたのだが、その時も知らん顔をしていた。だが、一方、職場で仕事をしていても、何だか落ち着かなくなってきた。本当にすべきことは他にあるのではないか。この思いがつのり、別に何のあてがあるのでもなく、長く勤めていた職場を辞めてしまった。

職場の人、家族の者の不信な目が光っていた。修道会といっても、いろんな修道会を知っているわけもなく、時々、黙想に行っていた修道会と阪急デパートのホーリー・コーナーで見かけるパウロ会だけである。その修道会には黙想に行くたびに「あなたの望みは修道生活ですか。結婚生活ですか」といつも聞かれるので、「結婚生活です」ときまって答えていた。

残るはパウロ会。そういえば一年間もカードを送ってくださっていたのに、何の返事もださずにと深い痛悔の念にかられた。さっそくホーリー・コーナーに行き、「召命のことを話してみよう」と出かけたが、なかなかきりだせず、向こうから「召命のために祈ってくださいね」と言われて、「召命のための祈り」のパンフレットをもらって帰ってきてしまった。そこで今度は手紙作戦でいこうと、私は園田の修道院宛に手紙をかいた。それから、召命を考えてみましょう。ということでしばらく阪急のホーリー・コーナーに勤めることになったのである。

このように私のつたない歩みを見てきた時にも、召命は神のイニシアチブであると共に、人の働きをとおして、神はその召命を完成なさることがよくわかる。こう考えると、私たちの小さな目に見えないふだんの努力が必要であることを痛感させられる。


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