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どうしてシスターに?

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シスター マリア・フェデーレ 益子美智江

一枚のパンフレット

シスター益子


「今度来るときは迎えに来てくれるんだね」と、明るい笑顔で言った父の言葉がわたしの心に残った。入院していた父は一日も早く家に帰りたかったからだと、わたしは思った。

ところがその夜、父は息を引き取ったのだった。若いころから両親はずっと健康だったので、いつまでも生きているとどこかで思い込んでいたわたしには、大きなショックだった。これからどうなるのか、どうしようもない無力感と空しさがこみあげてくるばかりだった。

高校進学を控えていた弟のために、なにもしてやれないと病床でこぼした父に、わたしがしてあげるからと言って、弟のために腕時計と皮靴を買った。はたして、それが父のしてあげたいことだったのかどうかはわからないが、父はよろこんでくれた。

父に回復の見込みがないと診断されてから、母はある宗派の人に勧められて、その集まりに日参していた。わたしも勧められたが、一度行っただけだった。父はひとこと言った。「お母さんが祈ってくれるのはいいんだけど、そばにいてくれたほうがいいのにねー」と。そのころ、わたしは就職してやっと一年というところで、父の看病のため欠勤していた。しかし、いつまでも休んでいるわけにはいかず、明日から出勤しようと思ったところだった。

わたしたちの小さな家庭に、死という現実が入ってきた。
 それ以来なぜかわたしは、家族が信仰に結ばれて生きる生活にあこがれを抱くようになった。とはいえ、そのような家庭を知っているわけでもなく、もちろん、カトリックの教会も知らなかった。

自分がなにを求めているのかさえわからないままに、あてもなく歩きまわったこともある。

そうした日常の生活とはかけ離れたところをさまよっていたわたしの心を、小さなメディアが捕えることになった。一枚のパンフレットである。これが、女子パウロ会との出会いであった。

このパンフレットのことは、しばらくの間、家族のだれにも言わなかった。探していた宝を見つけた人のように、自分のものにするまでは言えないような気がしたのだ。不幸だと思った父の死をとおして、わたしは神の愛を知るように導かれていった。

女子パウロ会の聖堂で洗礼を受ける前から、わたしの心は決まっていた。家族の反対にもかかわらず、修道院に入りたいという望みは変わらなかった。わたしを修道生活に招いてくださった神は、必ず母と妹、弟たちにそして亡くなった父のことも、み心にかけてくださるという確信のような思いがこの道をすすむ力を与えてくれた。実際その思いはずっと今も続いていて感謝とよろこびとなっている。


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