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どうしてシスターに?

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シスター マリア・イグナチア 森 淳子

私の唯一の故郷

シスター森


わたしの召命を振り返るとき、わたしは一枚の絵をイメージします。イエスに探しだしてもらって、彼の肩にのせてもらい、ほほをよせあうようにして運ばれている羊の絵です。

友人にさそわれて英会話の勉強に行くようになったのがカトリック教会で行われていた英会話で、別の友人にさそわれて映画を見に行ったらキリストの生涯の映画でした。そのイエスが強烈に心に焼きついて、家に帰ってから新約聖書を一気に読んでしまいました。次の日曜日に、また一人でその映画を見に行ったのですが、映画館に向かって歩きながら「どうしてこんなに一生懸命になるんだろう」と、とても不思議でした。その映画を2回見て、もっと知りたいという火が心の中で燃えていました。

次の週、英会話の先生が休み、代わりに来た若い女性と文学の話になり、帰りに連れていってもらったのが聖パウロ書院でした。そして、要理の勉強が始まったのです。洗礼を受ける前後はもうイエスのことしか眼中になく、話すことといったらイエスのことばかりなので、「まさか、近所を折伏して回っているのではないだろうな」と父が心配していたそうです。

「修道院に入りたい」と言ったら、母が「いいよ、それであんたが幸せになるんだったら」と言ってくれたのですが、別の部屋で泣いているのを見てしまいました。その姿を見て、修道院はだめだと内心あきらめたのに、そのうち、母が父と修道院を見てくる、と言いだしました。家出して修道院に入る人がいるとどこかで聞いてきて、家出などされたら大変だということだったのです。

院長さんと話すうちにひらめいたそうです。「こんな生活できるはずがない。ここは娘の言うことを聞いてやろう。すぐに帰ってくるにちがいないから」と。その日わたしが家に帰ると、母が「入会日を決めてきたよ」と言ったのです!

入会してもう28年が過ぎてしまいました。ふさわしく応えるすべも知りませんでしたが、イエスの愛は「昼は雲となり、夜は雲の中の火」(出エジプト記40章38節)となってずっとわたしを守り導き続けてくださいました。貧しい日々に、イエスこそわたしの故郷、わが家。なつかしい存在がすべてその中に在るわたしの唯一の故郷です、今もそしてかの日まで。

わたしの人生はこのためだけにまとめあげたい。イエスをもっと知り、愛すること。彼が人々に知られたいと望んでおられる、そのために人々に知らせる役目を負うこと。彼の望まれる道で。


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