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どうしてシスターに?

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シスター マリア・テレジア 植木タヨ子

心の深い望みに導かれた出会い

シスター植木


わたしのふるさと広島は、仏教が盛んで特に安芸門徒として強い意識があります。我が家も檀家として代々お寺に仕えていました。家の中には大きな仏壇があり、朝夕お供え物とお線香をあげ、お祈りしてから食事をするというのが、習慣でした。父は長男として親戚中を集め先祖の法要をよくおこなっていました。

そんな中にあっても母は、宗教について何か物足りなさを感じていたのでしょうか、ある時から教会に通うようになり、洗礼を受け、熱心な信者になりました。“イエスさまこそ真に神様!”という母の顔は輝いていて、今も印象深く思い出します。

そのころ中学生だったわたしは、母に少々反発し、「我が家は先祖代々仏教徒なのに・・・」とか、「神様がいらっしゃるなら見せてほしい」などと言って困らせていましたが、母はあの手、この手で、神様を証明しようとしていました。

1964年11月18日、わたしが21歳の時、病気が悪化した母は神様のもとへ旅立ちました。淋しさと同時に「母が信じていた神様とはどんな方だろう」との思いにかられ、教会を訪ねました。まだ漠然としていましたが、以前からわたしの心の深いところにある呼びかけ、“無私無欲で人々のために全てをささげ尽くす生き方”はどうすればできるのだろうと真剣に求めていました。

形が見えないまま時が過ぎ、母の死を体験し、教会で教えを学び始めた時、「人間の救いを望んでこの世に来られ、自ら十字架を抱きとってくださった方イエス」を知り、わたしもまた“この方こそ本当の神様!”と確信し、深い喜びと感謝に満たされました。

ちょうどそのころ、一緒に教えを学んでいた友人から、シスターと文通しませんか? と声をかけられ、全く面識はありませんでしたが、手紙を出しました。すぐに、返事をいただき、修道院をお訪ねして、お話を伺っていると、わたしが求めていた生き方がシスターの口から語られたのです。「生涯を神様と人々のために全てをささげ尽くす生き方がわたしたちの生活です」と。その時の驚きと感動・・・。求めていたものがわたしの前に差し出されたのです。わたしは迷わずこの道を選びました。

わたしがここに招かれた道程を新たに味わいながら、初心に立ち返りたいと、今感じています。


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