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山本神父入門講座

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11. 敵を愛して、神の子となる

「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
悪口を言う者に祝福を祈り、
あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。」
(ルカ6章27b~29a)

あるときイエスはこう言われた。これがよく話題になる、イエスの「敵をも愛せよ」という教えである。それもただの教訓やお勧めではなく、「しなさい」とはっきり言われているから、やはり掟(おきて)である。なるほど立派な掟だと思うものの、とても守れそうもない。ふだんの感じ方や行動と、あまりにもかけ離れているからである。

私たちは、自分に対する態度や行動によって、敵と味方に区別し、味方は大切にし親切にするが、自分を憎む敵に対しては親切にしない。私たち自身が、根本的に変わらなければ、自分を憎む敵に親切をすることなど、とても考えられない。


そんな心を察してか、イエスは続けて言われた。「あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる」(ルカ6章35節より)。

隣人愛の話の中に、神の姿が浮かび上がってきた。敵を愛することは、ただの掟ではない。その不可能と思われる掟を守ることによって、いや、守ろうとすることによって、私たちが、いと高き方の子であることが実現し、敵を愛する力が与えられるのではないだろうか。

「いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(ルカ6章35~36節)。


マタイ福音書は、少し異なった調子で書いている。

「あなたがたも聞いているとおり、
『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。
父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
正しい者にも正しくない者にも
雨を降らせてくださるからである。」 (5章43~45節)

ここでは、天地万物の創り主である神の姿が、はっきりと浮かび出ている。神は善人だけを大切にして、悪人は切り捨てる、というわけにはいかない。善人を創ったのも、悪人を創ったのも神である。神は悪人を滅びのために創ったのではない。

神は、人間が一人も滅びず、ずべての人が救われることを切に望んでいる。だから悪人が悔い改めるのを待ち、そのために必要な恵みを与えようとしている。私たちが敵だと決めつけている人も、神は大切に思い、その人の救いを願っておられる。

「主の祈り」の終わりに、「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください」と祈る。隣人を味方と敵に分けて、神が大切にしておられる人を、敵として切り捨てようとすること、これこそ私たちの最大の誘惑ではないだろうか。その誘惑から守られるように祈ろう。


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