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山本神父入門講座

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16. 百人隊長とイエス

キリスト像

「福音書に登場する人物が、どのようにイエスに接するかに注意すると、多くのことを学ぶことができる。その態度はイエスを誰だと思っているかの反映だからである。


イエスはローマの軍人を絶賛されたことがある。その人の名前は残っていないが、百人の部下を持つ百人隊長で、カファルナウムに住んでいた。彼が大切にしていた部下が病気で重体であった。

「イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。『あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。』そこで、イエスは一緒に出かけられた」(ルカ7章3~6節) 。

一行が途中まで来ると、百人隊長が送った使いの友人に出会った。部下の命のあるあいだに、早くお出でくださいとの催促かと思うが、そうではない。使いの友人は言った。

「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕(しもべ)をいやしてください。わたしも権威のもとに置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします」(ルカ7章6~8節) 。このことばを聞いてイエスは非常に感心して言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」(同7章9節)。


こう言ってイエスは百人隊長のことを賞賛されたが、彼の使いの友人が言ったように、百人隊長の家まで行くのは やめてしまわれた。不思議な気持ちもするが、「使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。」(ルカ7章10節) という記述を見ると、「なるほど」という気持ちになる。百人隊長はイエスとの間に心の通い合いをもっていた。自分のわずかな権力の経験をもとにして、イエスがどんなに偉大な方であるか、イエスが文字どおり「主」なのだということをつかんだからである。だから自分は前面に出ないで、ユダヤ人の長老に取り次いでもらったり、友人を使いに出したのである。

「頼みたければ、自分で来て頼め」という固い考えの人には、「生意気だ」、「奇跡ねらいだ」とか誤解されるだろう。しかし、百人隊長のイエスについての確信は強いもので、治るにせよ、治らないにせよ、イエスにすべてをおまかせしよう、という気持ちになっていた。是が非でも治していただきたい気持ちではあるが、どうするかをお決めになるのは、その力を持っておられるイエスなのだ。それが彼の「信仰」である。


「是が非でも治してあげて下さい」。私も多くの人のためにこのように祈った。しかし、不思議な癒(いや)しという経験はしたことがない。それでも、私はこれからも同じように祈り続けるつもりである。その人の病、いのちにイエスが目を留め、心に留めてくださる、そのことを百人隊長とともに願いたいからである。


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