home >キリスト教入門> 山本神父入門講座> 35. 最後の晩餐 1

山本神父入門講座

INDEX

35. 最後の晩餐 1

エルサレム入城
エルサレム入城

イエスがエルサレムに、弟子たちの賛美の声の中、王の象徴である子ろばに乗って入城し、神殿で、当局者の許可を得て犠牲用動物を売っていた商人を追い出したことは、祭司長、律法学者、民の指導者たちに深い衝撃を与えた。彼らのイエスに対する憎悪はますますつのり、すぐにもイエスを殺そうとはかったが、イエスの話しに聞き入っている群衆の反応を恐れて、どうすることもできなかった。一見、平静に見える都エルサレムの深層部は緊張がみなぎっていた。

イエスの教えは、神殿の崩壊、エルサレムの滅亡、そして、終末の徴と人の子の再臨がテーマで、一気に終末論的な雰囲気を強めていた。 (ルカ21.5-33 参照) 終局が刻々と近寄る予感の中で手詰まり状態が続いた。ユダヤ人の春の大祭、過越(すぎこし)祭、除酵(じょこう)祭が近づいていた。各地から多数の巡礼がエルサレムへやってくる。祭司長や律法学者たちは、それまでには、何とか決着をつけたいと焦(あせ)っていたが、民衆が怖くて打つ手がなかった。


その時、意外なことが起こった。「十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。彼らは喜び、ユダに金を与えることを決めた。ユダは承諾して、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。」(ルカ22.3-6) ついにイエスは、特定の人物、自分が選んだ弟子から、命を付けねらわれることになった。

このような暗い動きのなかで、「過越の小羊を屠(ほふ)るべき除酵祭の日が来た。」(ルカ22.7) 十二使徒の一人ユダが、ユダヤ教の権威者たちの側に寝返ったことは、イエスの言動の上にも、微妙な変化を生じさせた。イエスはペトロとヨハネを使いに出して、過越の食事の準備をさせたが、どこに用意するのかとの問いに答えるイエスの言葉は、不思議である。「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。この人が入る家までついて行き、家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」(ルカ22.10-12) まるで暗号ではないか。ペトロとヨハネが行って見ると、イエスが言われたとおりだったので、彼らはそこに過越の食事の準備をした。ユダはイエスの普段の行動をつかんでいるから、イエスが十二人とだけいる時などは、もっとも要注意な訳である。イエスは、それを警戒されたのだろうか。

それにしても、イエスはなぜ、そんな危険をおかしてまでも、弟子たちと一緒に過越の晩餐をとることを望まれたのか。これは、キリスト教を理解するために大切な点である。それにはまず、過越が何であるかをとらえなければならない。


エルサレム

簡単に言うと、過越祭はイスラエルの信仰の原点 出エジプトの出来事の記念である。ユダヤ教では、「旧約聖書」出エジプト記12章に従って、毎年ニサンの月14日、今の暦(太陽暦)の3月末から4月初めころ、過越祭が行われる。

イスラエルの民が、神から遣わされたモーセに引率されて、奴隷状態に置かれていたエジプトから救い出されたことを「記念」して、小羊を屠って焼き、酵母を入れない種なしパンとともに食べて、出エジプトを祝った。「モーセは、イスラエルの長老をすべて呼び寄せ、彼らに命じた。『さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居(かもい)と入り口の二本の柱の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らねばならない。また、主が約束されたとおりあなたたちに与えられる土地に入ったとき、この儀式を守らねばならない。また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と」(出エジプト記21.21-27 参照)。

また、過越祭に続く七日間種なしパンを作って出エジプトを祝った。これが除酵祭である。このように、故事に倣って食事を規定したりするのは、そのような行動で、出エジプト、奴隷状態からの解放の状況の中に身を置き、あの時、先祖たちが受けた神の救い、愛、導きを、過越を祝うそれぞれの時に、先祖と同じように、先祖とともに受けることを現している。それは、たんなる模倣ではなく、記念である。神のわざを表現する行動によって、過去の神の導きを再現することによってその神の導きが、それを祝う時に、祝う人々に及ぶことを信じ、それを実現するのである。


イエスが過越を十二使徒とともに祝おうと希望されたのは、敬虔なユダヤ人としてそれを大切にされたからでもあるが、イエスの心にはもっと深いものが秘められていた。それは、この時の過越が、最後の晩餐と呼ばれるようになったことにより暗示される。イエスの受難と死は、出エジプトがイスラエルの信仰の原点であったように、そしてそれをはるかに凌駕(りょうが)する形で、キリスト教信仰の原点となるのである。


▲ページのトップへ