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山本神父入門講座

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40. イエスの十字架の道と死

キリストの磔刑とこれに臨む諸聖人
キリストの磔刑とこれに臨む諸聖人

最高法院での大祭司の死刑判決、ローマ総督ピラトによる執行の承認。裁判とは名ばかりの、偽善と不正に満ちた法手続きは終わった。

イエスは、異を唱えもせず、黙々と死刑の判決と、ピラトの死刑執行宣告に従った。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリピ 2章6-8節)。

最高法院と総督官邸での怒号の交錯の中で、この言葉が粛々(しゅくしゅく)と実現して行った。そして、「一人の人 (アダム) * の不従順によって、多くの人 (全人類) が罪人とされたように、一人 (イエス) の従順によって多くの人 (全人類) が正しい者とされるのです」 (ローマ 5章12-21節 参照)。 イエスの前にはピラトが立っていた。その総督の宣告に従ったイエスは、天の父のお望みに耳を傾け、従順に従われたのである。


夜を徹して侮辱され、暴行を受けたイエスは疲労、衰弱のきわみにあったに違いない。しかし、イエスはご自分で十字架を担われた。教会で行われる信心のつとめ「十字架の道行」によれば、イエスは途中で三度お倒れになった。

執行人や周りの人々は、イエスが途中で倒れ、死刑ができなくなることを恐れた。そこで「人々はイエスを引いていく途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた」(ルカ 23章26節)。

マルコは「アレクサンドロとルフォスの父でシモンというキレネ人」と書いているから、初代教会では知られた人だった。過越祭のためエルサレムに来ていた、北アフリカ・キレネ在住のユダヤ人なのだろう(マルコ 15章21節) 。 突然つかまって、死刑囚の十字架を担がされたシモンは驚き、迷惑に思ったに違いない。しかし、後になって、その死刑囚がイエスであることを知ったシモンは何と思っただろうか。

それはとにかくとして、イエスの十字架を背負って、イエスについて行くシモンの姿は、期せずしてイエスの言葉の実現を描く「絵画」の役割を果たしている。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである」(ルカ 9章23-24節)。

後になって、エルサレム巡礼が行われるようになると、イエスが十字架を担って歩まれた、総督官邸からゴルゴタの丘までの「苦難の道」をたどる信心のつとめが行われ、さらに14世紀ころからは、エルサレムに巡礼しなくても、教会堂に設けられた14留(りゅう)をイエスの受難を黙想しながら歩く「十字架の道行」という信心のつとめも教会に広まった。

「十字架の道行」では、十字架を担って最初に倒れたイエスが立ち上がって歩まれるところで、聖母マリアと出会われる場面(第4留)、ヴェロニカという女性がお顔を拭う布を差しあげたところ、返されたその布には、イエスのみ顔が写されていたという場面(第6留)もあるが、福音書には次の場面(第7留)以外には何も書かれていない。

「民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。『エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が、「子を産めない女、生んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ」と言う日が来る。そのとき、人々は山に向かっては、「我々の上に崩れ落ちてくれ」と言い、丘に向かっては、「我々を覆ってくれ」と言い始める。「生の木」さえこうされるのなら、「枯れた木」はいったいどうなるのだろうか」(ルカ 23章27-31節)。 エルサレム入場の時、都を見てイエスが泣かれたが、そのことを思い起こさせる場面である。苦しみのさなかにあっても、イエスは苦しんでいる人、悲しんでいる人のことを心に留め、ご自分がその人々のために命をささげられる罪人のことを思い、その時々に必要なことばをおかけになった。


「されこうべ」と呼ばれている所に着いた。イエスを中央に左右には一人ずつ犯罪人が十字架につけられた。十字架の上からイエスの目に入った人々は、すべて「敵」だった。その時、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ 23章34節)。イエスを不当に扱った人々のためにも、イエスは報復を望むどころか、彼らは自分たちがやっていることの本当の意味を知らないのだからと、赦すための理由を挙げて、父の赦しを祈られた。

そのイエスに対して、最高法院の議員たち、兵士、民衆は、イエスに対する敵意をむき出しにしてしゃべる。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい」、「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」。さらに一緒に十字架にかけられた犯罪人の一人が言った。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」もう一人がたしなめて言った。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」 喧騒(けんそう)のなかで、イエスを静かに見守っていた犯罪人の信仰告白である。イエスは最後の最後まで救い主である。

犯罪人は言った。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ 23章35-43節参照)。 最後の瞬間でもよい、それまでの歩みを悔いて、回心するならば、その人は救われる。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」 (ヨハネ 3章17節)。


十字架上のキリスト

昼の12時ころから3時ころまで全地が暗くなり、太陽は光を失っていた。突然、神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。人々と聖所を隔てていた幕である。イエスの死によって、人々が神のもとに行く道が開かれたということを、この出来事は示している。イエスは詩篇31のことば「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」と言って、息を引き取られた。静かな信仰告白が聞こえた。「本当に、この人は正しい人だった。」異邦人であるローマ軍の百人隊長の声であった(ルカ 23章44-49節参照)。

*( ) 内は筆者の注。


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