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第2バチカン公会議から50年

第2バチカン公会議開催からはや50年

髙見 三明(たかみ みつあき)

カトリック長崎教区大司教

公会議開催のころ

第2バチカン公会議が始まった1962年、わたしは長崎南山高校2年生で、「長崎公教神学校」(現長崎カトリック神学院)におりました。当時のわたしは、第2バチカン公会議開催は縁遠いものと感じつつも、それなりに全世界の教会にかかわる重大な出来事だという意識はあったようです。当時の日記を見ると、公会議に触れているのは10月1日だけですが、こう書いています。「今月からいよいよロザリオの月。これからのロザリオも聖マリアの連とう、聖ヨゼフに向かう祈りも公会議の為に捧げる。今まで一週間通して来たロザリオ一連、公会議の為の祈り、特別に信仰の一致を求むる祈りなど、降福式(現聖体賛美式)の時にする。」これを裏づけるように、最近たまたま、「公会議のよき実りを聖霊に願う祈り」という紙片を見つけました。祈祷書大の神の両面いっぱいにつづられています。わたしたち神学生もこの祈りを唱えたことを思い出しました。参考のため、その前半を転載しましょう。公会議の趣旨と開催前の日本の教会の雰囲気が少しわかるような内容です。

 イエズスの御名によりて御父より遣わされたまい、教会とともにまします誤りなく導きたもう聖霊、願わくは、御身のみちあふるる賜ものを公会議の上に慈愛もて注ぎたまえ。
 善き師にして甘美なる慰め主(よ)、ローマ教皇聖下の召集にいち早く応えて聖なる会議のつどいを開かんとするわれらが司教たちの心を照らしたまえ。

 願わくは、この公会議に豊かなる実りを結ばしめたまいて、福音の光と力が人類社会にいや増して広まり行き、カトリックの教えと宣教師たちの活動がより力強く発展せんことを。
そは、幸いにも教会の教えが全き理解を得て、キリスト教的道徳が健全なる進歩をとぐるにいたらんためなり。

 公会議の第一期が終わった翌年の6月1日、ヨハネ23世教皇様が危篤状態だという“校長神父様”の知らせを受けて、わたしたちは一生懸命祈りました。とうとう亡くなられた(6月3日)という知らせに、大変悲しくなったことを覚えています。

公会議の“精神”

第2バチカン公会議開催の経緯については、ヨハネ23世教皇ご自身が公会議召集の大勅書(1961年12月25日)の中で次のように述べています。「一方においては精神的貧困に苦しむ世界、他方には生命力に満ちあふれるキリストの教会がある。私は……教皇に選ばれたとき以来、この二つの事実に直面して、教会が現代人の諸問題の解決のために貢献するよう、すべての信者の力を結集することが私の義務であると考えてきた。そのため、私の心に浮かんだこの考えを超自然的霊感であると判断し、今こそカトリック教会と全人類家族にとって全世界教会会議を開催する時であると考えた。」

 同教皇はまた、公会議の目的について、開会演説(1962年10月11日)の中で「この公会議にとって、もっとも重要なことは、キリスト教の聖なる遺産を一層効果的に守り、かつ告げることであります」と述べています。言い換えると、教会共同体自身の刷新と世界との対話です。後継者の教皇パウロ6世は、このことを敷衍(ふえん)して、四つ挙げています。すなわち、「教会の自覚、刷新、すべてのキリスト者の間の一致の回復および、私たちの時代の人びとと教会との話し合いがこれであります」公会議の精神もまたそこにあります。とくに、ヨハネ23世の、すべての人びとに心を開いて対話し、心から平和を求め、実際に実現する努力が、公会議の聖心の根底にあると思います。その精神はもちろんキリストに根差したものです。

 わたしは、1964年、東京オリンピックの年に福岡サン・スルピス大神学院に入学しました。“スルスにもどれ”という表現を先輩神学生が口にしているのをしばしば耳にしました。それは神学校の先生、あるいは公会議に参加された司教様方から来てのことだったと思います。“スルス(source)”は、「泉」「源泉」「根源」などを意味するフランス語の言葉です。つまり、教会はその信仰の遺産のすべてを本源であるキリストからくみ取らなければならない、そのために聖書と聖伝に戻りそこから再出発する必要がある、ということです。

 わたしが神学課程を始めた1968年には、すでに公会議公文書が各書別々にほぼ完訳されていました。それまでの神学校の教科書は基本的にラテン語のもので、たとえば教義神学では、まず命題があり、聖書と聖伝はそれを証明するものとして用いられていました。公会議は、教義神学を聖書、教父、教義史、神学的考察から成る総合的なものに改めるよう求めました。他の科目についても同じ趣旨の刷新が求められました。先生たちは、ある意味でまったく新しい教科書を作成しなければならなかったので、大変だったと思います。わたしたち神学生も、内容と言語の変化のるつぼの中にいました。

公会議の適応

イタリア語の“アジョルナメント(aggiornamento)”という言葉もよく耳にしました。これは、ヨハネ23世教皇が使用された言葉で、“時のしるし”を見極めて教会の教えあるいはあり方を「現代に適したものにすること」を意味しています。教皇様によれば、世界は刻々とそして大きく変化しているのに、カトリック教会は旧態依然、閉塞状態にある。だから、「キリスト教の教えのすべてが、現代に人から、あらたな熱意と明るいおだやかな心をもって迎えられる」(公会議開会演説)ために、教会の窓を大きく開いて、今の時代にもっと“適応”する必要がある、と言われました。

 “適応”の第一弾は、典礼の刷新でした。神学校では、新しいミサ式文の公式訳がまだ出ていないとき、カーボン紙を使ってプリントしたラテン語式文を用い、共同司式ミサが始まり、聖堂が改装されるなど、戸惑いもありましたが、それ以上に新しい時代の到来に希望や期待感のようなものを抱きました。この適応の努力は、少なくとも会議や文書のレベルではこれまで絶え間なく続けられてきました。

 公会議開催の結果、いい意味でも悪い意味でも教会全体に激震が走ったと言っても過言ではありません。しかし、大切なことは、すでに50年経過した今からでも、祈りのうちに、公会議の“精神”と教えを正しく深く理解し、実行に移すことです。
 かつて公会議のために唱えた、前出の祈りは今も有効だと思います。

 われらが心を親しく訪ないたもう聖霊よ。公会議において決定さるることがらをば、すべて誠意もて受け容れ、善意もて実行するを得んために、われらの精神を真理のうちに堅め、われらの心を素直ならしめたまえ。


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