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第2バチカン公会議から50年

常に変革されるべき教会

今、「開いた扉」を見直すとき

村田 稔(むらた みのる)

カトリック大阪教区司祭。カトリック堺教会司教チームモデラトール

アメリカで新学生時代を送っていたときに第2バチカン公会議が始まりました。教師の一人、レイモンド・ブラウン師が会議に呼ばれたので、彼が帰国して公会議の雰囲気などを授業の中で伝えてくれ、躍動している教会を知ることができました。感動しました。

公会議は急に開かれたわけではありません。中世期から教会は不変のもの、変わらないものという概念に蔽われていましたが、実際はそうではありませんでした。教会は常に変革していかなければならないという動きもヨーロッパを中心に起きていたのです。とはいえ開催を決断した当時の教皇、ヨハネ23世は素晴らしかった。

大きなうねりの中で公会議が開かれ、最初に出たのが典礼憲章です。典礼とは何かが根本的に問われ、見直しをしました。ローマ教会はその当時は認めていませんでしたが、母国語による典礼はすでにヨーロッパのところどころで始まっていました。この公会議で正式に母国語による典礼が認められ、言葉だけでなく形態そのものも各地域民族に適した方法で、その習慣が迷信でなければ、積極的に典礼の中に取り入れることも宣言されました。自分の言葉で神様を礼拝するのです。日本は保守的なのでローマ典礼をほとんどそのまま日本語に訳し、形式もほとんど変えていませんが、アフリカの典礼はすごいです。民族的な典礼が行われるようになりました。

今、日本人の生活スタイルに合った表現が、典礼でできるかどうかは難しい大きな課題ではあります。世界共通かもしれませんが、生活パターンに日本的なものはなくなってきています。第2バチカン公会議が唱えた民族性、国民性を基にした典礼は、逆の「グローバル化」という世界の大きなうねりの中で、50年たった今、私たちが真剣に取り組む課題のように思います。日本の生活は昔は畳でしたが、今はだれも座らないので畳の教会はほとんどありません。歌も日本的な歌に対する問い掛けは常にしないといけませんが、第2バチカン公会議後は作曲に励みましたが、その後はほとんどありません。この点を「信仰年」で振り返ったらいいように思います。

典礼憲章の大きな裏付けになったのは、その後に出てきた教会憲章です。教会とはなんなのか、「神の民」の概念が出てきて、司教職の大切さ、「教皇一人」ではなく共同性、共同的な責任性も強く主張されました。そこから価値のある教会共同体として地方教会が受け入れられてきました。でも残念ながら、今の時代、巻き返しが強く感じられます。第二バチカン公会議の大きなうねりは、固定化しただけでなく、ローマ教会自身が中央集権化しているようです。

教会憲章の大事なポイントは、神の民という概念と教会の教導権、教皇個人に与えられた権力、教導職はいわゆる弟子たちの、使徒たちの後継者である司教団の教導性の中に発揮されると指摘している点です。ペトロに教会を任せたというイエスの言葉がありますが、ペトロの元には十二使徒がいました。十二使徒から独立し、かけ離れたペトロではありません。使徒団が中心となり、その使徒団をコントロールして導いていく役割がペトロの役割で、それが教会の基礎になっていったのです。それを引き継いでいる教皇に力があるのは当然ですが、司教も、使徒たちの後継者と言われています。教皇だけが正式な使徒たちの後継者ではなく、司教団、司教一人一人が、使徒団の後継者なのです。

社会の対する教会の役割、基本的には神の民という教会憲章の考えの中で、教会の中での働きだけでなく、教会以外に救いはない、という考え方でもなく、私たちが信じている神は、天地万物の創造主なので、カトリック教会に属さない人たちも神の大切な被造物です。平和と愛の実践ということが新しい神の民の律法です。その神の民の律法である愛と平和の実践を伝える使命を一人一人が受けています。そこからエキュメニズムの考えや他宗教との対話も生まれています。

ところが日本の教会では、バチカン公会議の動きがさほど一般信徒に浸透していません。教える場が非常に少なかった。というのは、私が日本に戻ったのは1969年でバチカン公会議が終わって数年たっていました。教会司牧は帰国十年後に始めましたが、教会で第2バチカン公会議のことを尋ねると、「ああ、聞いたこと、あります」「勉強しましたか?」「勉強なんかしないですよ」。びっくりして基本的なことの勉強会として同じ講話を朝昼晩2週間続け、必ず1回は参加してくださいと言いましたが、参加者は合計百人足らずでした、司教座聖堂で、です。一般信徒にとって第2バチカン公会議は別の世界の話でした。神父もそのために努力してこなかった、というより翻訳に非常に時間がかかり、日本語の情報がなかなかなくて、読む読まないはさておき資料がない状態にずっと置かれたのです。

日本の教会が、第2バチカン公会議を受けて歩み出したのが1987年の福音宣教推進全国会議の開催です。準備はもう少し早かったのですが、各教区が集まって行ったあの会議がせめて十年早くやれていれば、という気がします。

「信仰年」が10月から始まりますが、バチカン公会議50周年にあたっての反省、振り返りをし、副題として「信仰に基づいて」というつながりが大事です。たとえば日本の教会の司教団声明、脱原発を日本から要請してローマが取り上げ、これからの教会の課題として全世界で原発の反対を考える年にするなら皆の力になると思います。祈りとして大事なものが生まれてくると思います。大切なテーマとして全世界に発進していく責任があると思います。

今の時代、第2バチカン公会議前に教皇が感じた、扉を開く必要性と同じぐらい、開いた扉の中を見直すことの必要性に迫られています。この50年間に教会はどうなってきたか、第2バチカン公会議の実りを育てていかないといけない。50年前に決心したことの再確認をする。世界の教会は危機に瀕しています。全国の司教を集めて、バチカン公会議は間違っていたのか正しかったのか。正しかったらどうしてそれがうまくいかないのか、それも含めて、もう一度公会議を開いたらいいと思います。教会は完全にマンネリ化してしまい、また定着してしまいました。第2バチカン公会議の精神はまだ達成していません。第2バチカン公会議の「教会は常に変革されるべきだ」というスローガンは、今、まったく聞こえません。(談)


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