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第2バチカン公会議から50年

21世紀に向き合う教会 第2バチカン公会議の改革その3

ホアン・マシア

イエズス会士

1か月だけの教皇、ヨハネ・パウロ一世

ルチアーニ枢機卿が教皇に選出され、(1978年8月26日)両前任者の名前をあわせる「ヨハネ・パウロ一世」の名前を選び、その志を受け継いだ。短期間(33日間)の在位だったが、改革への意志をもって出発し、戴冠式を就任式に変え、教皇冠を博物館入りにした。

教皇になる1か月前、ルチアーニ枢機卿は世界で初めての体外受精児の誕生に送った言葉で、先端技術の発展を評価すると同時に、人間の尊厳を傷つけない生殖医療の開発を願った。

「平和促進」のヨハネ・パウロ二世

455年ぶりに誕生したイタリア人でない教皇、ヨハネ・パウロ二世(在位1978~2005)は、型破りにして記録破りで、21世紀に向かって教会を導いた。スポーツマンであり58歳で選出され、福音宣教のため世界(127か国)を旅しつづけ、生命尊厳・人権尊重を呼びかけた。狙撃され重傷を負った後、獄中の犯罪者に面会して彼を許した。アッシジの「世界平和の集い」で諸宗教の指導者と謙虚に同列にならんで祈った。母国ポーランドを訪問し、自主労組「連帯」を支持し、冷戦終結を働きかけた。ガリレオ・ガリレイの名誉を359年ぶりに回復し、化学と信仰の統合を求めた湾岸戦争・アフガン侵略・イラクへの先制攻撃などの際、米国政府に対して戦争反対を訴えた。エルサレムを訪問し、嘆きの壁を前に祈りをささげた。1981年に教皇は広島で「武器の支配するところに平和をもたらそうではないか」と呼びかけ、9・11のテロの後で暴力の連鎖を断ち切るよう「正義なしには平和もあり得ないが、ゆるし合いの伴わない正義感もまた偽りである」と呼びかけた。

こうした立場に徹し、「信仰を伝えること」と「人権擁護にかかわること」は切り離せないものだと述べた教皇は第2バチカン公会議の『現代世界憲章』の教えを生かそうとした。

謝罪する教会

正義と平和の促進を正しく理解してもらいたかった教皇は1981年に『慈しみ深い神』という文書で、聖書に基いた正義の促進と平和の建設は切り離せないと主張し、教会の正義と平和へのかかわり方がキリストの慈しみによって支えられており世間で言う正義と平和ではなく、キリストの正義と平和であり、聖書で言われるシャロームであることを明らかにした。このシャロームの精神によって過去の過ちに対する謝罪と未来に向かう創造的な和解が可能となってくる。

ヨハネ・パウロ二世は、世俗的権力と結びついたときカトリック教会が犯した数々の過ちを率直に認め、勇気をっもって謝罪した。2000年3月に教皇は、キリスト教会の分裂、十字軍、異端審問、魔女裁判、反ユダヤ主義、先住民族への侮辱などに関する教会や信者の責任を認め、神に対し許しを請うた。そしてその直後には、さらにイスラエルを訪問し、ユダヤ人に謝罪するとともに、イスラエルとパレスチナの和解を訴えた。

公会議改革の巻き返し

前述した膨大な業績の光りを認めながらも、ヨハネ・パウロ二世の時代の、一つの影に言及しなければならない。第2バチカン公会議の改革に対する巻き返しの風潮は80年代から高まってきた。福音に基いた人類の一致を求め、「分け隔てなしの社会建設」に力を入れつづけていた教皇は、教会内部において信仰の理解をただし、それを現代のために再解釈する神学に対して強い懸念を表し、「神学の改革」に歯止めをかけた。ハンス・キュング断罪をはじめ、公会議の精神を生かそうとした多くの神学者に対する通告に明け暮れる26年間のローマだった。

ここで、枚数の関係で割愛せざるを得ないので、数例を羅列するにとどまる。

* 教理省長官の書簡『解放の神学のいくつかの側面に関する指針』(1984)では解放の神学に否定的な見方が表された。

* 教理省著『生命のはじまりに関する教書』(1987)では配偶者間の体外受精さえも認められず、避妊にも反対する立場が主張された。

* 教理省訓令『神学者任用について』(1990)では教導職への服従を力説され、学問の自由はますます制限された。

* 『カトリック教会のカテキズム』(1992)では教義と聖書釈義の史的発展が反映されずに、公会議で乗り越えたと思われていた中世からのスコラ学派的な色彩が取り戻された。

* 回章『真理の輝き』(1993)では先端の神学者によるカトリック倫理の刷新を断罪し、公会議で拒否されていた伝統的な倫理神学の復権が目指された。

* 『贖罪司祭のための覚書』(1997)では詳細にわたる結婚道徳問題に関する指示が狭く厳しく繰り返された。

* 教令『使徒たちへ(アポストロス・スオス)』(1998)では司教協議会の神学的・法的性格を見直し、その権限に制限がくわえられた。

* 自発教令『教会法典に特定の規範の導入』(1998)では教導職が確定的に提示する教えに反対した者への賞罰が規定された。

* 『信仰告白および忠誠宣言』(1998)では教会での職務を受ける者に要求される教導職への絶対従順が力説された。

* 『主イエス(ドミヌス・イエスス』(2000)ではエキュメニズムおよび諸宗教との対話に制限の限界が指摘され、排他的な姿勢と誤解されやすいキリスト論と教会論に関する主張が行われている。

これらの例は、ヨハネ・パウロ二世時代における「復権主義(レストレーシオン)の風潮」を支えた教会公文書の一部にすぎないが、現在の教会で高まっている「刷新と反動の間の緊張」を理解するためには、参考になるのではなかろうか。

ベネディクト十六世の「水と定理」

保守派の台頭が高まり、欧米の教会内部において分裂の心配が強まる現状に直面している現教皇ベネディクト十六世は、最初の回章から信・望・愛・に焦点を合わせる方向性を主張し、福音への立ち返りにもとづいた改革を推進するにあたって、伝統と刷新のバランスを保とうとし、第2バチカン公会議の成果を「伝統との継続の中での改革」として解釈している。

若い神学者として第2バチカン公会議の司教たちにとって貴重な顧問の一人だったラッチンガー教授は当時の教会と世界の現状をみつめて「福音のブドウ畑」(ヨハネ15章)というイメージで刷新と改革をとらえていたが、教皇になった今、21世紀の教会が必要としている二つのことをまさにその福音のイメージで捉え、「水」と「定理」が必要であると述べている。「水」は根から教会の木を生かす信仰体験であり、「定理」はよけいな枝を切り取る神学の批判的作業である。21世紀のカトリックの行方を問いかけるとき、わたしたちは神秘の再発見と神学の再検討を必要としている。


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