公会議を招集したヨハネ23世の平和への思い
高見 三明(たかみ みつあき)
カトリック長崎大司教
今年の8月8日も夜7時から、長崎の原爆落下中心地、原爆公園で諸宗教者による原爆殉難者慰霊祭が催されました。今年は、来日されていた教皇庁正義と平和評議会議長のピーター・タークソン枢機卿が、ジョセフ・チェノットゥ駐日教皇大使とともに参加され、一緒に祈りをささげられました。この慰霊祭は今年で41年になります。その数日前の8月4日に比叡山で開催された、教派を超えた宗教サミット「世界宗教者平和の祈りの集い」も26周年を迎えました。これは1986年10月27日、時の教皇ヨハネ・パウロ2世の招きで諸宗教者がアシジに集まって行われた「世界平和祈祷集会」に触発されてその翌年に始まり、以来毎年行われてきたものです。ほかでも、多くの異なった宗教の人々が平和実現を一つの使命として真剣に考え、行動を続けています。
第2バチカン公会議を収集し、第一会期後に亡くなられた福者教皇ヨハネ23世は、近いうちに列聖されますが、1960年12月に聖公会のカンタベリーのフィッシャー大主教を歴史上初めてバチカンに招きました。そのとき、別れた兄弟の中で一番近い教会の首長であるにもかかわらず、教皇庁関係者は困惑し、いい顔をしませんでした。また、ソビエト連邦政府機関紙「イズベスチア」編集長夫妻を書斎まで招き入れたときも、共産主義者を教皇の館に入れたことで、教会内外で非難と論争が渦巻きました。夫人はフルシチョフの令嬢でした。しかし教皇は、共産主義の無神論は受け入れることはできないが、それを信奉している人と区別し、人とは対話しないといけない、というお考えでした。そして夫人にロザリオをプレゼントし、私はあなたの子供たちに祝福を送りたいです、とおっしゃって名前を尋ねられたそうです。
イエスはすべての人のためにご自分のいのちをささげられたのですが、当時の教会は他のキリスト教会、他宗教、共産主義を誤っていると断じて門戸を閉ざし、その人々と交わろうとしませんでした。ヨハネ23世は、教会のそのような閉鎖的な考え方を正すように、対話の精神を貫き、実践されたのでした。
今年はヨハネ23世が出された回勅『パーチェム・イン・テリス―地上の平和』が発布されて50年になります。「どうして武器を使わないで平和を作ることができるのですか」という質問がよく聞かれます。イエスは、非道な暴力によって殺されましたが、暴力で仕返しをするどころか、自分に暴力をふるった者、自分を裏切ったものをゆるされました。そして「剣を取る者は皆、剣で滅びる」とおっしゃっています。父である神は私たち罪びとのために、ご自分の独り子を与えました。私たち人間をいっさい咎め立てず、ゆるしたのです。それが平和をつくる唯一の道なのです。人間には生きていくために支配欲と所有欲が与えられていますが、原罪の結果、傲慢ゆえに抑制がきかず、暴力的にさえなります。戦争がその典型です。しかし、イエスは、暴力によるのではなく、自分を差し出し、ゆるすことによって敵意や憎悪を滅ぼしました。これがイエスの平和構築の方法です。
回勅『パーチェム・イン・テリス』の中で、ヨハネ23世は、「正義、英知、そして人間の尊厳のためには、軍備競争に終止符が打たれること、規制の軍備が同時かつ並行的に縮小されること、核兵器が禁止されること、そして最後に、有効な監視を伴って軍備全廃達成が切実に要求されます」(60)と強調しています。さらに「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」(61)とも述べています。
教会のなかでも武器による抑止力が必要であると考える人もいます。日本はアメリカの核の傘で守られていると信じている人もいます。ヨハネ23世は、当初から「そうではいけない」と言っておられるのです。この考えは『現代世界憲章』(80~82参照)に反映されています。
日本国憲法の前文には「日本国民は、……平和を愛する諸国民と公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。これは、教皇ヨハネ23世と第2バチカン公会議の教えに通じるものです。人間は武器を持って自分の命と財産を守り、まして他者を攻撃するのではなく、人間同士が、愛と尊敬をもって信頼し合うよう努力するべきです。それが平和の道だということを、私たちは教会としてもっと強く発信し、私たち自身がそれを生きるべきではないでしょうか。
日本の司教たちが憲法九条を守るという言動は共産主義と同じではないですか、信者たちは戸惑っています、隣国の行動は危険ではないですか、と言う人たちがいます。最近、政府は消費税を上げると言いながら、軍備費を千八百億円追加したと発表しましたが、それに対して批判もないようです。教会はぶれずに平和主義を貫くべきです。司教たちは政治的発言をすべきではない、現実を知らない、などと批判されています。しかし、司教たちは、私たちの平和であるキリストを根拠としています。イエスの生き方は、愛するすべての人間のために自分のいのちを丸ごと差し出すことです。そして私たちには、「私が愛したように愛し合いなさい」と命じて、唯一の平和の道を示してくださいました。
この平和の道は、信仰の次元だけでなく、社会・政治・経済生活のすべてを貫くはずです。イエスは、裁判の席でローマ総督ピラトから「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問されたとき、「私の国はこの世には属していない」もしそうなら、「部下が戦ったことだろう」と答えられました。この神の国は、軍隊を持たず、神の愛に生かされ真理と正義と平和に支配された人々の状態のことです。それは教会において始まっており、地上に広がるはずのものです。私たちはこの国に属していますが、同時に日本国民として税金も払い、政治・経済・文化などにかかわりながら生活しています。私たちの信じる神は、万物を造り、完成へと導いておられます。私たちは、新しい愛のおきてを人間完成と世界改革の根本法則(『現代世界憲章』38)として、地上のものを変容させ、神の国の完成に寄与するよう召されています。
ヨハネ23世は、教皇に選ばれたとき高齢でしたが、実は若いときから自教区の司教から「心の平和の大切さ」を学び、教皇庁の使節や大使としてキリスト者同士の対立、教会と他宗教との対立、カトリック内の諸問題などを解決へ導こうと奮闘されました。そのような体験の蓄積から、平和への強い思いを抱いておられました。そして教会内外の現実を見るにつけ、教会がまず変わらなければならない、教会全体を動かすためには公会議を開くしかない、と考えられたと思います。就任後三か月で公会議開催を決断されたわけがわかります。
ヨハネ23世以後の歴代教皇の考え方はやはり非暴力です。「人類は、紛争や対立を平和的手段で解決するにふさわしい存在です」(教皇ヨハネ・パウロ2世『広島平和アピール』4)。教会は武器や暴力によらない平和構築のメッセージを発するだけではなくて、働きかけていくことが大切だと思います。(談)