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シスター三木の創作童話

小さいおばあちゃん

かざぐるま

 天国に帰る前に集まってくるお年寄りたちの最後の旅の宿“ともしび老人ホーム”に、きょうも新入りの小さいおばあちゃんが、やってきました。顔中、縦と横、いっぱいにきざみこまれたしわの中で、人なつっこいかわいい目が笑っています。

 「おばあちゃん。いくつになったの−どこからきたの」
 ホームの若い看護師さんは、このおばあちゃんが、あまり色黒なので、ちょっと聞いてみたくなったのです。
 「へえー わしは、88になりもうした。かごんまの浜から来もうしたーへえー」
 「そう、じゃ、おばあちゃんの家は、漁師」
 「へえー 男は、みんな海に魚をとりにいく。女は、浜で、その魚を料理しもうす」
 「ああ、それで、おばあちゃん、日焼けして健康そうなのね」
 「へえー おかげさんで、いままで、なんの病気も、しもうさん」
 「おばあちゃん。どこが悪いの」
 「へえー こっちの足をくじいて、足首がはれとる。なあにたいしたことは、ありもうさん。ひとつ、唄でもうたおうかいな」

 人なつっこいおばあちゃんは、小さいときに覚えた数え唄を、うたいはじめました。それは長い、長いうたでした。若い看護師さんは、何も見ないでうたっているおばあちゃんの暗記力に、びっくりしてしまいました。小さいこのおばあちゃんは、目をきょときょとさせてうたっています。その顔のしわをのぞけばそれは、幼い子どもの顔でした。おばあちゃんは、思い出していたのです。子どものころ、お寺で、お祈りのかわりにこの数え唄を教えてもらっていたころのことや、庭に大きなかしの木があって、そのかげで、よく遊んだ遠い日のことを。うたいながらおばあちゃんの心にさびしさが、こみあげてきていました。それは、この唄を聞いてくれていたかわいい孫たちが、もうここにはいないということなのです。おばあちゃんの右も左も、そして前も、寝たっきりのお年寄りがいるだけでしたから。おばあちゃんは、心をおそうこのさびしさに負けてなるものかと、いっそう声をはりあげて、最後の節をうたい終わりました。

 “パチ、パチ、パチ”寝たっきりのお年寄りたちが拍手をしました。
 「ええ、唄じゃ。ええ唄じゃ」
 拍手をしてくれる人たちが、ここにもいると知ったおばあちゃんは、気をよくしていいました。
 「そんなら、もういっぺんうたいもうそうか」
 おばあちゃんは、何回も、何回も、その長い長い唄をくり返しました。それは、単調な老人ホームに、ぱっと、あかりがともったようなひとときでした。

 そんなある日、この小さなおばあちゃんのところに、息子夫婦が訪ねてきました。  「おばあちゃん。ここに来てよかったでしょう。こんなに大勢、お年寄りがいらっしゃるんですもの、ほんとによかったわね。お家だと昼間はみんな出かけて、いつも一人ぼっちだったでしょう。ここなら安全よ、しんせつな看護師さんもいてくださるし、もう何も心配しなくていいのよ。おばあちゃんは、ここでゆっくりしてていいのよ」
 息子のお嫁さんは、小さいおばあちゃんに、子どもにいいきかせるように、いっています。小さいおばあちゃんは、歯のないしぼんだ口を、もぐもぐさせながら、うなずいていました。おばあちゃんの息子は、その横でだまって座っています。やがて2人は、アメ玉やお菓子の包みを置いて帰っていきました。おばあちゃんは、その2人の後ろ姿に手をあわせ、
 「ありがとう。ありがとう。気をつけてお帰りもうせ」
といいました。おばあちゃんは、たとえ昼間一人ぼっちでも、広い庭や畠のある住みなれた我が家が一番いいと思っていました。けれど、それは、心の奥の奥でそう思っただけで、ことばにも、顔にもあらわしませんでした。長い長い人生の旅の間で、この小さいおばあちゃんが覚えた最高の知恵、それは、何事につけても、感謝するということだったのです。

雲の上で手をふるおばあちゃん

 「へえー おおきに、ありがとう。ありがとう」
 これが、いつのまにか、小さいおばあちゃんの口ぐせになっていました。
 「さあ、おばあちゃん、数え唄、うたわないの、うたってよ」
 若い看護師さんにとってそれは、もう聞きあきた数え唄でしたけど、おばあちゃんを喜ばせるために、また聞いてあげようと思ってそういったのでした。
 「そうかー、そんなら、ひとつうたいもうそうか」
 おばあちゃんは、目を輝かせてうたい出しました。ホームの大きなガラス窓の向こうに、夕焼けに染まった、オレンジ色の雲がなびいています。小さいおばあちゃんは、喜びも悲しみも、そして苦しみもすべてを、心の奥の奥にとじこめて、ただ無心に数え唄をうたうのでした。
 “あの空の向こうが、これからわしがいきもうすところじゃ”と思っていたのかも知れません。


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