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春のしずかな海辺。青年がぽつんとひとり、ひざをかかえて、寄せては返す波を見ていました。
「ああ、なにかぱっと面白いことが起こらないかな。大学に受かるには、受かったけれど、なんだかもうひとつ、ぱっとしないんだよな」
青年は、受験戦争の緊張感と圧迫感、友達さえも敵とみなす競争心などの心の重荷が、大学合格とともにすっぽりととれて、かえって気抜けがしてしまっていたのでした。息子の大学合格をめざして、影のようにつきそっていた母親も、安心してしまったのか、あの時のように、とかくいわなくなっていました。いろんなわずらわしさから、一度に解放された青年は、ほんとうに、ぼんやりと、うつろな心で春の海をながめていたのです。しばらくして青年は、自分のすぐ後ろで、ざっく、ざっくと、ゆっくり砂地を踏みしめて、だれかがやってくるのを感じました。青年は、なにげなく音のする方に目をやりました。
おばあさんでした。おばあさんが、浜辺に流れついた木ぎれを拾って歩いているのでした。おばあさんには、青年の姿が、目に入らなかったらしく、通りすぎていってしまいました。おばあさんは、ずいぶん遠くまで行きました。そしてまた、青年がすわっているあたりまで戻ってきたときには、手にした紙袋が、ふくらんでいて重そうになっていました。袋の底が、砂地についています。小さいおばあさんにその袋は、ちょっと長すぎたのです。
青年は、おばあさんに声をかけました。
「おばあさん。重そうじゃない。ぼく、もってあげましょうか」
急に声をかけられたおばあさんは、びっくりしていましたが、青年のていねいなことばと、横に投げ出してある本やノートの束から、学生だとわかって安心したようでした。
「そうですか、それはどうも。きょうは、たくさんあったものですから、つい欲を出しまして・・・」
といって、木ぎれがいっぱいつまっている袋をわたしました。
「おばあさんの家(うち)、この近くですか」
「はい、この先の先の松林がきれたところを出たらすぐです」
「おばあさん。この木ぎれ、なににつかうんですか」
「はあ、お風呂の薪にします」
「へえー。おばあさんの家(うち)の風呂は、薪でわかすんですか。すてきだなあ。ぼくの家では、ボイラーです」
青年は、いつでも必要なときにはお湯が出る便利な生活を思い出していました。
「あの、学生さん。時間の方は、いいんですか、学校へ行きなさるんでは・・・」
「ああ、授業ですか、いいんです。面白くないから、さぼってるんです」
「はあ・・・」
小さいおばあさんは、背の高い青年を下から見上げましたが、それ以上なにもいいませんでした。青年は、ふっと母親のことを思い出しました。
『お袋さん、ぼくが、大学をさぼってるなんてわかったら、どんな顔をするだろうな。しつこいんだからな、あのひとは・・・』
そんなことを考えてあるいているうちに、おばあさんの家につきました。
「はい。ここです。あの、むさいところですが、ほかにだれもおりませんので、お茶などあがっていってください。そうそう、今朝はよもぎ団子をつくりましたので、それでも・・・」
時間をもてあましていた青年は、おばあさんにいわれるままに、縁側に腰をかけました。
傾きそうな古い家でした。
「おばあさん。ひとり・・・」
「いいえ。息子がおります。けど・・・ちょっと遠くにいっております」
古びた茶だんすを開けて、お茶わんを出しているおばあさんの背中が、さびしそうに見えました。
「でも、たまには帰って来られるんでしょう」
「はい。帰ってくると思って、こうして待っておりますです・・・」
青年は、それ以上聞くのは止めにしました。なにか深いわけがあると感じたからです。
「おばあさん。このよもぎ団子おいしいですね。これこそ自然食ですよね」
「自然食。はい。わたしのところでは、いつも自然食ですよ。ははは・・・」
おばあさんは、楽しそうに笑いました。
「おばあさん。ぼく、時々、遊びに来ていいですか」
「はあ。おいでなさいませ。わたしも、さびしくなくてすみますから」
それからというもの、青年は、なにかと手土産をもって遊びにきました。下宿暮らしの青年も、さびしかったのです。青年は、おばあさんの家の陽のよくあたる縁側に寝そべって本を読んでいることもありました。およそ警戒心というものがなく、平和でしずかに生きているおばあさんを見ていると、青年の心は安らぐのでした。
時間に追われ、昼も夜も、勉強、勉強と、受験地獄の中を生きてきた青年は、知らないうちにこのおばあさんのところで、傷ついた心をいやされていたのでした。