home>シスター三木の創作童話>“風せんかずら”
その少年は、きまって洗いざらしのジーンズにTシャツというかっこうで働きに来ていました。3年前にはじめてこの作業場に来たときにくらべると、ずっと背ものびて、少年から青年へと成長しているのが感じられました。少年は、ケン、ケンとみんなから親しく呼ばれていました。無口な少年でした。にこっと笑うと口もとに小さなえくぼができて、かわいい顔になりました。ケンは、そんな自分の顔が女の子のようになるのを気にしていたのかもしれません。きまりわるそうに赤くなっていましたから。
とにかく、さっぱりとさわやかな少年でみんなから愛されていました。
「ケン。きょう仕事が終わったら、なにかやることあるの」
先輩の北さんが声をかけてきました。
「いいえ、べつにありません」
「じゃあ、出かけないか。車かりたんだ」
「車をかりたんですか・・・」
ケンの返事はいつもと違ってはっきりしません。なにか重くるしい様子が感じられます。実は、ケンは朝から頭が痛くてそれを我慢していたのでした。
北さんは、家族のことで心配なことがあって落ちつかない気持ちでいました。なにかで気をまぎらわさないと、今夜はねむれないという思いでいたのです。自分のことで頭がいっぱいになっている北さんには、ケンの具合の悪さに気づく心のゆとりがありませんでした。
「ケン、たのむ。つきあってくれよ。おれ、苦しいことがあるんだ。な。」
ケンは、はれぼったくなっている目をあげて答えました。
「ええ、いいですよ。つきあいましょう」
ケンは、そういう少年でした。友人のたのみを断るということができない性格でした。どんなに自分が不自由しても・・・。
北さんは、うれしそうでした。元気にシャベルを踏んで土を掘り起こしています。
ケンのアルバイト。それは、公園の整地作業でした。資金の都合、土地の問題などがあって、なかなか工事がはかどらず、もう今年で3年越しの仕事となっていました。といっても、この冬の長い北国では、夏の短い一時期の作業だったので、仕事はそうはかどらなかったのです。
ケンは、歌が好きでした。休憩時間になると丘の斜面にねそべって、青い空に向かって草笛を吹いていました。
「ケン、いまの歌、それなんだ」
「ああこれですか、ぼくの歌です」
「自分でつくったのか」
「ええ、まあ、そうです」
「ふーん。おまえってやつ、器用なんだなあ。いろんなことができるじゃないか」
「いろんなことって・・・」
「だってさ、絵もうまいし、詩だってつくるじゃないか。それに電気関係のことだって一応こなすし・・・」
「いいえ、たいしたことありませんよ。それより世の中では“器用貧乏”っていうでしょう。ぼくなんか、そんなところかもしれません」
「おまえっていいなあ、くったくがなくて」
「おれは、いつも、なんだか、苦しみの網に目の中でもがいているみたいだよ」
「北さん、どうかしたんですか…ああいけない、あまり聞いちゃいけないんでしたね。ぼくだって、悩むことがあります。ただ言わないだけです。言うと、真珠がガラス玉にかわる気がして・・・」
「なんだ、その真珠がガラス玉になるって」
「ええ、よく説明できないけど、ぼくは、苦しみは真珠だと思うことにしているんです。自分で苦しみを乗り越えられたとき、その光があったかいものに感じられてくるようになる、そんな気がするんです。第一若者は悩まなくちゃいけないと思うんです。自分に強くなるために、そうでしょう、北さん」
ケンは、いつになく雄弁になっていました。
けれど北さんは、そういうケンのことばをよそに、すか、すかといびきをかいてねむっていました。
「北さん、ねちゃったんですか・・・ああ、頭が痛い。きのうの夜ふかしがたたったのかなあ・・・」
翌日、ケンと北さんは作業場に姿をあらわしませんでした。
働く仲間たちは、ただ黙って仕事をしていました。時折力まかせに乱暴にシャベルを踏みつけて土を掘っていました。
「ちくしょう、ひどいなあー」
1人の男の人から、このことばがうめくようにもれました。
ケンは、北さんのハンドルミスのため帰らぬ人となっていたのでした。運転席の北さんは軽いカスリ傷ですんだということでした。
ケンは、北さんへの友情のために命を落としました。北さんはいままでの苦しみの何倍もの苦しみを背負って冷たい格子戸の中でうずくまってないていました。
あれから、ケンが残した一輪車の上に小さな花が咲きました。小さな一輪車は草むらの中におかれてさびついていました。
やがて白い小さな花は、風せんのような実をつけました。北国のはやい秋の風に、青い風せんがゆれています。“風せんかずら”という草花でした。青かった風せんが薄茶に枯れて、中からまんまるい黒い種がこぼれて地に落ちました。その黒い小さなボールのような種には、ミルク色の小さいハートの型が、ひとつずつついていました。
それは、ケンの心のようでした。