home>シスター三木の創作童話>ふたつの人形
ある日、デパートで二つの人形展が開かれていました。一つは、高級品売場で。もう一つの方は、デパートのバーゲンセール売り場といっしょの大催場でした。
高級品売り場の人形たちは、遠い国から空を飛んで運ばれてきたものでした。高価な置物や造花の中で、その古い人形たちは、ゼロがたくさんついたプライスカードを胸につけて、飾られていました。人形の前を通る子どもたちが、そのかわいさにつられて、手をのばそうとすると、いっしょにいるお母さんは、きまってこういうのです。
「だめ、だめ、さわっちゃ。“手をふれないでください”って、書いてあるのよ」
「ママ、このお人形、ほしい、買って! ね、おうちにつれてかえりたい」
「そうね。ほんとにかわいいわ。ママもほしいけど、ちょっと手が出ないわね」
「いくら?」
「えーっと、まあーびっくり! だめだめ、とてもじゃないわ。ものすごく高いのよ」
それなのに、たいていの人形には、“ご予約済”の赤い札がつけてあったのです。人形たちは、薄いハトロン紙で幾重にも包まれて、大きな箱に入れられ、お買い上げのお客様の家まで送りとどけられるのでした。こうした人形たちは、たいせつに飾られていました。ガラスのケースにおさめられることもありました。ほとんどの人形は、子どもたちの遊び相手にはなれなかったのです。子どもの手のとどかないところに置かれるか、または、子どものいない家に飾られるかしていましたから。
人形たちは、むかしのことを思い出していました。幼い子どもたちに抱かれて、ママーと声を出して呼んだり、子どもたちの腕の中でゆられて、目をとじたりあけたりすることもできました。どの人形も、ねむり人形でした。この人形たちは、口を半開きにして、悲しい顔をしています。目は、一点を見つめて動くこともありませんでした。人形たちは、叫びつづけていました。
「おねがい! わたしを遊びの仲間に入れてください!」
って。
でも、だれの耳にも、その声は、とどきませんでした。
もう一つの大催場の人形たちは、どうだったのでしょう。こちらの人形たちは、くたくたにくたびれていました。着ているきものは、汚れていたんでいました。けれど、しあわせでいっぱいでした。いまもこの人形たちは、子どもたちの拍手をあびて、舞台を下りてきたばかりなのです。子どもたちは、首がだるくなるのも忘れて舞台を見上げ、ボロボロの人形の演技を見ていたのです。目をきらきらさせて、口をポカンとあけ、人形たちの動きに見とれていたのです。この人形たちは、一日に何回も拍手を聞きました。若者も老寄りもみんな子どもといっしょになって拍手をしてくれました。人形芝居を見ている人たちは、みんな、子どもの顔になっていました。大催場の人形たちは、人形芝居に出ていたのです。全身の力を抜いて、壁にさがっている人形たちは、「きょうも、いい日だった!」と思っていました。遠い遠い昔から、何人もの人が、人形使いをしてくれました。そして、いまはもう、その人たちは、土にかえってこの世からいなくなっています。人形たちだけが、人間が生きられない年月を、生きつづけてきたのです。そして、これからも生きつづけるのです。
両方の催場にいる人形たちは、人間の社会の移り変わりのすべてを見てきました。黙って見てきました。
高級品売場の人形たちは、子供たちの第一の友達であった時代から、いまは、高級な趣味のアイドルになってしまったのでした。この人形たちは、
「わたしは、死んだのもおなじよ。ただ、飾られているだけですもの。おねがい、もう一度、わたしを生かして!」
って、叫んでいました。
人形芝居の人形たちは、
「子どもたちがいるかぎり、わたしたちも生きつづけられる。生かされているってすばらしい!」
って、いっていました。
人形のいのちは、人間のよろこびと悲しみの中で、人形を愛してくれる人の手の中で、生かされて生きつづけていくことができるからです。