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聖人カレンダー

1月20日 聖ファビアノ教皇殉教者

?-250年(在位236年1月-250年1月20日)

 聖ファビアノ教皇殉教者は、第20代ローマ教皇である。歴史家エウセビウスは『教会史』(29巻)のなかで、ファビアノが教皇に選ばれた次第について、次のように書いている。236年、教皇アンテルスが亡くなり、教皇選挙が始まった。ちょうどそのころ、ファビアノは何人かの同行者とともに出身の村からローマにやってきた。会議では何人かの教皇候補者の名前が挙がっていた。しかし、ローマの人々がファビアノの頭上に鳩が飛んできたのを見たとき、枢機卿たちはイエスの洗礼のとき、神の霊が鳩のように降ってきたことを思い出した。彼らは喜びに満たされ、「これは聖霊の働きに違いない」と、満場一致でファビアノを教皇に選んだ。

 ファビアノの在位中、最初の14年間は迫害の時代であった。エウセビウスは、『教会史』(Ⅵ、43)の中で「教皇ファビアノはローマの町を7つの地域に分け、助祭が司牧し、その助祭のもとに7人の副助祭がいるように定めた。また当時の殉教者たちがかけられた裁判の記録に努めた」と書いている。ファビアノは、235年サルディニアで死去した教皇ポンティアヌス(生没年不明、在位230-235年)の遺骸をローマに運び、サンカリストゥスのカタコンベ(地下墓地)に埋葬した。また245年、7人の司教を叙階し、ガリア地方(現在のフランス・ベルギー・スイスおよびオランダとドイツの一部)へ宣教師として派遣した。

 マルクス・ユリウス・ピリップス (Marcus Julius Phillippus、204年ごろ-249年、在職244年-249年) が皇帝となると、キリスト教徒に対して、比較的寛容な政策をとり、迫害は一時的に収まった。このころ、ファビアノはローマを7つの地域に分割し、助祭がそれぞれを司牧し、彼のもとに7人の副助祭を任命し、彼らは特に貧しい人々への奉仕に従事した。教皇はデキウス帝の迫害時、250年1月20日に殉教したと言われている。

 彼についての詳細な記録はあまり残っていないが、古代教会の歴史の中で、彼が果たした役割はとても大きい。カルタゴの司教キプリアヌスはファビアノを高く評価している。



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