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女子パウロ会ニュース
電子書籍配信記念講演会
インターネットの時代に 神さまが語りかける「だいじょうぶだよ」
2012/02/13
昨年の12月17日、わたしたち女子パウロ会は、はじめての電子書籍を配信しました。電子書籍のタイトルは『だいじょうぶだよ』。この本は、晴佐久昌英神父が、「神さまがいつもあなたを見守っているよ」だから、“だいじょうぶだよ”ということをすべての人に伝えたいと思って書いた詩集『だいじょうぶだよ』の電子版です。電子書籍のために、新たにイラスト8点を晴佐久神父に描いていただき、四季に分かれている構成の中に入れて読みやすくしました。
晴佐久神父が描いたイラストを、聖堂前の壁に掲示しました。
電子書籍の配信を記念して、2月4日(土)、晴佐久神父の講演会を、女子パウロ会の聖堂で開催しました。講演会のタイトルは“インターネットの時代に 神さまが語りかける「だいじょうぶだよ」”。当日、聖堂には、晴佐久神父のお話を楽しみにしていた多くの方々が集まりました。お話のポイントをご紹介します。
◆◇◆◇◇◇◆◇◆ ◆◇◆◇◇◇◆◇◆ ◆◇◆◇◇◇◆◇◆ ◆◇◆◇◇◇◆◇◆ ◆◇◆◇◇◇◆◇◆インターネットの時代になり、メディアが新しくなって、分からないことばかり。しかし、分からないことでもいい。わたしは何も恐れていない。それは、神さまが教えてくださるから。
神さまは、手紙という方法を人間に与えてくださった。そして、印刷という方法を与えてくださった。電話の時代になったら電話がいろいろな人に神さまの愛を伝える。
ルルドに行ったとき、洞窟に向かう行列に並んだ。そのうち、行列の進行が止まった。一人の女性が壁をさわりながら携帯で話している。普通だったら、「こんなときに携帯で話すのはやめて」と言いたいところだが、だれもそんなことは言わない。その人が何をしているか、みな分かっているからだ。その人は携帯を持って、ベッドで寝ている人に、きっとこう言っているのだ。「今、ルルドの洞窟に来たわよ。壁にさわって、あなたのために祈っているからね。だいじょうぶよ」と。そんなことをする携帯電話は、神さまが与えてくださったに違いない。
そして、今、神さまはインターネットを与えてくださった。これを聖なるものにするのは、教会の使命である。神さまが与えてくださったので、教会はそれを認めて、神と人を結ぶために、「だいじょうぶだよ」と伝えるために。
次にどのようなことになるのかは、分からない。それも、神さまが与えてくださる。神さまが、辛い思いをしている人に、「だいじょうぶだよ。わたしがいるから」ということを伝えるために。これは教会の使命としてやっていかなくてはいけない。神さまから祝福されている。
人間はいろいろなことを発明して使っているけれど、それは神さまがしていること。
それは神さまが、一人ひとりに語るための道具。メディアは人と人とを結んでいる。情報を流す。確かにそうだ。しかし、こう言いたい。すべてのメディアは、神さまが、ご自分の愛を、一人ひとりに伝えるために作っている。
イエス・キリストは究極のメディアである。わたしたちが目指す最終は、そこにある。イエス・キリストを目指して、すべてのメディアがある。永遠に伝わるように。イエスほどのメディアはない。イエスは、神さまのメディアとして、神さまの愛をすべての人に伝えようと歩いた。あの時代にネットがあったら、イエスはどうなさっただろう。メディアが出てくるたびに、教会はそのメディアを聖なるものにしている。
出会い系サイトが危ないと言うが、神さまとの出会い系サイトを作ればいいではないか。神さまがご自分の愛を語るために。
メディアを使うが、最終的には、直接その人に会って、神さまが「だいじょうぶだよ」というのが最高だ。
この本を作るとき、どういうタイトルにしようかと迷った。この詩集が置いてあるだけでも、神さまからの福音が伝わる代名詞になるように。見るだけで、神さまの愛が伝わるようにと考えた。
「だいじょうぶ?」と聞かれると「だいじょうぶじゃないわよ」と言いたくなるようだ。
「だいじょうぶ?」と聞くのは、聞いた人の疑問。人間の言葉。神はそんなことは言わない。この人がだいじょうぶだと知っているのは、神だから。神は「だいじょうぶだよ」と言う。
本を開くことがいやなときもある。しかし、置いてあるだけで分かるのは、すばらしい。神の究極のメディア、イエス・キリストは、「だいじょうぶだよ、わたしについてきなさい」と言われた。本を開けなくても福音が伝わる。(表紙を見ただけで、「だいじょうぶだよ」のメッセージが伝わる。)
開けると最初の詩のタイトルが、「だいじょうぶだよ」になっている。詩の一行目は「だいじょうぶだよ」となっていて、最後も「だいじょうぶだよ」となっている。
みなさんも、いろいろなメディアを総動員して、神さまと人を結ぶことをしていこう。電話でもいい、手紙でもいい、ネットでもいい。神さまと人を結んでいく。結べば、そこに福音が流れる。流れるようにお世話することが、教会の使命だと思う。
わたしは、イザヤ書の次の言葉を信じている。
イザヤ 55.10-11
雨も雪も、ひとたび天から降れば
むなしく天に戻ることはない。
それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ
種蒔く人には種を与え
食べる人には糧を与える。
そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も
むなしくは、わたしのもとに戻らない。
それはわたしの望むことを成し遂げ
わたしが与えた使命を必ず果たす。
わたしはそういう仕事がしたい。教会は、みなそうしたい。みなさん、メディアになってください。信頼関係を築けば、そこにつながる。みなさんは、まずだれをイエスに伝えたいですか?
サインをする晴佐久神父
ミサはメディアである。教会もまたメディアである。あらゆる時代のあらゆる地域のあらゆる人に、伝えている。存在だけでメディアである。
これほどの被害、これほどの闇、これほどの哀しみに対応するのは、カトリック教会以外にありえない。中でもインターネットの働きはすごい。被災地でインターネットは大切なメディアとなった。インターネットを聖化する。
この教会に行ってごらん、このミサにあずかってごらん、この本読んでごらん、この電子書籍、読んでごらん。働くのは神だから。わたしはつなぐだけ。
◆◇◆◇◇◇◆◇◆ ◆◇◆◇◇◇◆◇◆ ◆◇◆◇◇◇◆◇◆ ◆◇◆◇◇◇◆◇◆ ◆◇◆◇◇◇◆◇◆晴佐久神父は、ミサや講演会のとき、その場にいる一人ひとりと目を合わせるように心がけているそうです。「あなたは、神さまから愛されているよ。だいじょうぶだよ」と伝えるために。一人ひとりを大切にしてくださる晴佐久神父のお話に、みな一生懸命耳を傾けていました。晴佐久神父からいただいたメッセージである「人と人とを結ぶ」ために働きましょう。
関連サイト
■ カトリック多摩教会サイト=晴佐久神父が司牧している教会 : http://catholictama.org/
■ 福音の村=晴佐久神父のミサ説教集 : http://www.fukuinnomura.com/