home>キリスト教入門>聖霊講座>第1回「大聖年」とは…

聖霊講座

INDEX

第1回  「大聖年」とは…

ご存知のように、西暦は、キリストの誕生の年を元年として定められ、現在、世界中で広く使用されています。(制定された後で、実際のキリスト誕生の年は、紀元前5~6年と分かりましたが……。)したがって、紀元2000年は、キリスト誕生2000年というわけです。

聖年とは

私たちの時間の流れの中に、神がかかわってくださるという考えから、教会は“時”を重要なものと考え「時」を聖なるものとします(聖化する)。
 「時が満ちると、神は、その御子を女からお遣わしになりました」(ガラテアの信徒への手紙4章4節)。ただその“時”が来たというだけではなく、時が“満ちた”のです。神の子であるイエス・キリストは私たちの間に、私たちと同じ人間として誕生しました。神はイエスによって、人間にかかわってくださったといえます。旧約の時代から人々が長い間待っていた「時が満ち」、イエスによって救いの日が来たのです。

神がかかわってくださる時、それは解放の日でした。ルカによる福音書(4.16~30)には、次のように書いてあります。
 イエスはある日、故郷の会堂に入り、預言者イザヤの書を朗読します。

「主の霊がわたしの上におられる。
 貧しい人に福音を告げ知らせるために、
 主がわたしに油を注がれたからである。
 主がわたしを遣わされたのは、
 捕らわれている人に解放を、
 目の見えない人に視力の回復を告げ、
 圧迫されている人を自由にし、
 主の恵みの年を告げるためである。」
               (イザヤ61.1~2参照)

さらにイエスは加えます。
「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と。イエスはご自分によって、長い間人々が待っていた「時」が始まると宣言します。主が恵みを与える「時」の始まりです。

旧約聖書の時代に、「安息の年」というのがありました。モーセの律法によると7年毎に巡ってくるものです。天地創造のとき、神が7日目に創造の業を休まれたことに由来します。この年は、畑を休閑とし、土地に安息を与えるのです。また負債が免除され、奴隷も解放されました。さらに奴隷を去らせるときは、手ぶらで去らせてはならず、「惜しみなく贈り物を与えなさい」と書かれています。自分たちがエジプトで奴隷だったとき、主が救い出してくださったからです。

さらに「安息の年」の7年を7度数えた年、50年目は特別な年として聖別され、「ヨベルの年」と呼ばれました。この年は、すべての住民が解放され、先祖伝来の所有地に帰ります。また借地が帳消しになります。 (出エジプト記23.10~11、レビ記25.1~28、申命記15.1~6参照)

しかし、このヨベルの年の規定は、実際には理想で終わったようです。そしてこの規定は、来るべき救い主によって行われるという未来への希望となっていきました。7年たてば借金、借地が解消されるというのは、借りた方には都合のよいものですが、貸し主に対しては理不尽だ……と思いますよね。

 王が助けを求めて叫ぶ乏しい人を
 助けるものもない貧しい人を救いますように。
 弱い人、乏しい人を憐れみ
 乏しい人の命を救い(ますように。) 
               (詩編72.12~13)

ここでは、神が創造された土地や富みを、人間全体の共通財産と見ています。富を持つ人は、神が創造された物の管理をまかされている管理人にすぎません。すべての人に供するというのが、神の意志です。別の角度から言うと、神のみが完全な所有者なのです。ヨベルの年は、この社会正義を意図していました。

すべての人の喜びの年「聖年」

イザヤは、「主が恵みをお与えになる年を告げる」と言っています。教会にとって聖年とは、この「主が恵みをお与えになる年」です。つまり、罪のゆるしと償いの年、争っている人たちの和解の年、さまざまな回心の年です。

以上のようなことから、「聖年」という言葉には喜びがあります。教会は、過去2000年の歴史の中で、100年、50年、25年ごとに、いろいろな形で聖年を記念してきました。教会は、世界中のすべての人をこの喜びに招いています。また、すべての人が救いの力にあずかることができるような状況を作り出すよう努めています。
 ですから、教会は今、神の恵みの年として、紀元2000年を「大聖年」と祝うよう定めたのです。


「聖霊講座」に戻る

▲ページのトップへ