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聖霊講座

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第2回 旧約聖書に見る“霊”の働き


今回は、聖書を見てみましょう。
 

旧約聖書では、“聖霊”という言葉は使われていませんが、“霊”という言葉があります。

旧約聖書で使用されているヘブライ語で、“霊”は“息吹き”とくに“風”を意味しています。水、火、息、風は物質的なしるしですが、それらは、神の霊が人に与えられたとき、どのような効果があるかを表現するものとして使われたのです。

旧約聖書では、すでに“霊”という言葉を、神から来るものとして使っていました。創造する力、命の創造は、神の息、神の霊と言われています。
 

初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、
神の霊が水の面を動いていた。 (創世記 1.1~2)

もう一つの創造の物語にも出てきます。

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、
その鼻に命の息を吹き入れられた。
人はこうして生きるものとなった。 (創世記 2.7)

また、 神の霊という言葉は、神の恵みの個人的な救いとして使用されています。
では、“霊”という言葉が出てくるいくつかの箇所を見てみましょう。

神の霊は、戦いのために力を与えます。
<士師記 13.25、14.6~19、15.14>
上記の箇所は、有名なサムソンのお話です。マノアから生まれたサムソンは、主の霊によって力ある者となり、事が起こるとき、主の霊によって怪力を出し、敵のペリシテ人と戦いました。

神の霊は、神がともにいてくださることのしるしです。
<サムエル記上 10.6>
サムエルから油を注がれたサウルに、主の霊が激しくくだります。これは、神がサウルとともにいてくださることのしるしです。それ以後、サウルは神とともにいるようになります。

神の霊は、選ばれた人が預言する(神の言葉を語る)ときにくだります。
<エゼキエル11.5、 ゼカリア 7.12>
 神の霊を受けた人は、神から示された言葉を、力強く、人々に語らなくてはなりません。

神の霊は、長老に知恵をもたらします。
<民数記 11.17>
 民のもめごとを解決する役目をモーゼ一人で果たすのは大変になってきたとき、神は長老制を提案します。そして、民をおさめるためにモーゼに与えられた霊を、長老たちにも授けます。

神の霊は、“油注がれた者”に与えられます。
サウルの次の王としてダビデが選ばれ、彼に油が注がれると、“霊”は、激しくダビデにおりるようになります。民を治める者に、神の霊は与えられるのです。


 旧約聖書のここまでの時代における“霊”は個人に与えられるもので、民全体に与えられたものではありませんでした。しかし人々は、もっとすばらしく、すべての民に与えられる神の霊を期待するようになります。


神の霊は、すべての民に注がれます。
<ヨエル3.1~2>
 預言者ヨエルは、神は大きな災を民に与えると告げます。だれも耐えられないほど大きな「主の怒りの日」。しかし、心から神に立ち帰るならば、神は思い直されるでしょう。神は民を憐れみ、恵みを与えてくださるでしょう。その後、神は、すべての民に神の霊を注がれます。

神は、新しい霊を与えます。
<エゼキエル36.26、27>
 神の怒りを受け、国を出された民は、神の力によって、再び自分の土地に戻ってくるでしょう。そのとき、神は民を清め、新しい霊を与え、神の掟を生きる者となるのです。

それは、“新しい契約”を結ぶ希望へとつながっていきます。
<エレミヤ31.31、32>
 新しい契約は、かつてエジプトから脱出したときに石の上にしるされたものとは違います。その契約は、イスラエルの民自らが破りました。“来るべき日”に神と民が結ぶ新しい契約は、彼らの胸の中に授けられます。

この新しい契約として、イエス・キリストが私たちに与えられるのです。“来るべき日”とは、イエスを通して与えられる神の救いの日です。

 
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